あるトンバの自伝
宮本神酒男 

心中の都、麗江

 麗江は「世界に冠たる心中の都」と称されました。正確にいえば1939年から8年間麗江に滞在した亡命ロシア人ピーター・グーラート(ピョートル・グリヤル)が英文で書いた著書『忘れられた王国』(ベースボールマガジン社から邦訳が出ています)のなかでそう呼んだのです。

 彼はオリエントの神秘性に憧れ、中国上海に住み始めたのですが、「情死者をひとりも出していない家族はない」と言われるほど麗江には心中が多いことを知り、ひどく驚き、興味を持ったのです。西欧にはそもそも心中という概念がありませんでした。ロミオとジュリエットでさえ厳密にいえば後追い自殺です。だからグーラートの本にはsuicide(自殺)という語が使われていて、double suicideなど心中にあたることばは見当たらないのです。

 グーラートや同時代のジョセフ・ロック、李霖燦といった大御所から現代の楊福泉にいたるまで、さまざまな学者や識者が麗江のナシ族の心中について論じてきたのですが、内側からの生々しい証言はこれまでほとんどありませんでした。楊福泉はナシ族出身で、ドイツ留学経験のある著名な学者であり、旺盛な著作家ですが、年齢は50代半ばで、心中が多発していた時代をダイレクトに知っているわけではありません。

 なぜ心中を選ぶのか、残された家族はどう思うのか、心中に失敗した場合どうなるのか……そういった湧き起こるさまざまな疑問に、だれも実感をもって答えることができなかったのです。

 そう考えると、木麗春が著した『トンバ文化の秘密を解く』に収録された和才というトンバの自伝は稀少であるだけでなく、第一級の資料といえるでしょう。口述した1990年、和才はすでに81歳という高齢でした。ちなみに著者の木麗春は、元代以降麗江を治めてきた木氏(ナシ王国の王といってもいいでしょう)の末裔です。もっとも、木氏の直系の子孫に言わせれば、彼は傍流にすぎないということなのですが。


<自伝要約>

情死した父親

 和才はきわめて特殊な運命の星のもとに生まれた。彼が四歳のとき、父親は村の美しい女と恋仲になり、心中を遂げてしまう。母親はそのとき妊娠四ヶ月の身重だったが、赤子が生まれる前に再婚する。幼少の和才にはとうてい理解できない激しい急展開だったのである。彼は祖父母に養われる。

 和才は心中した父の子という十字架を背負って育った。その遺伝子を継いでいるのだから、この子も将来心中するかもしれないと家族や親戚が懸念するのは当然のことだった。だからできるだけ早く結婚させて落ち着かせようという圧力が強まるのだった。もっとも、父親は家族を持つ身なのに不倫相手と心中したのだから、彼もまた結婚後に心中する恐れがあると周辺は考えたにちがいない。

 

心中の約束

 恋を語った相手は7、80人、と和才はさりげなくプレイボーイぶりを自慢している。そのなかで本気になったのは3人か4人程度、というのだから、それ以外はたんなるお遊びだったということになる。

 おなじ村の金秀という少女は、本気で好きになったうちのひとりだった。金秀は両親によって、金持ちの家の息子と結婚することになっていた。ところがその息子は知的障害者だった。一方、和才と金秀とのあいだには性的関係が生じ、彼女は妊娠した。婚約者がいるのに妊娠するというのは、心中に至る典型的なケースであった。彼らは当然心中を選び、実行する日取りまで決めた。

 しかし当日になって、自分を育ててくれた祖父母のことを考えると、どうしても家から出ることができなくなった。われわれから見るとなんとも意気地のない、煮え切らない男である。ナシ族の言い伝えでは、片方が約束を破り、片方がひとりで死んだ場合、その霊は生き残った者のもとにやってきて命を奪おうとするという。和才は部屋で、ひとりぶるぶると震えていた。

 翌日、和才は思いもかけないことを聞かされる。金秀が嫁に行ったというのだ。心中しようとしているのではないかと察した金秀の両親が手を回し、相手方に知らせて急いで婚姻を成立させたのだった。8ヵ月後、金秀は男の子を産む。もちろん本当の父親は和才だった。

 

駆け落ち未遂

 他村の娘、阿英もまた和才にとって忘れられない存在である。阿英は1歳のとき、十歳年上の父方の叔父の子の許嫁になった。ところが彼女が17歳になり、嫁入りしようという頃、婚約者が突然病死してしまう。

 ナシ族には奇妙な風習があった。許婚(いいなずけ)が死んだ場合も、女は寡婦とみなされる。この寡婦を男が略奪して手篭めにした場合でも、男の家族の者が砂糖とお茶と酒を持って寡婦の家を訪ねれば、婚姻が認められるのである。いわば公認レイプ、あるいは公認拉致である。もちろん結婚しようという意志がなければ、たんなる性犯罪となってしまうのだが。

 許婚が死んだ瞬間から、阿英はたむろする狼たちに囲まれる羊のようになった。一歩家から出た瞬間、狼のごとき野郎に連れ去られる危険があった。そうやって待ち構える獣に、理想的な夫がいるわけがない。

 阿英は深夜、ひそかに家を抜け出して和才のもとを訪ね、ふたりで駆け落ちしよう、と誘ってきたのである。和才はしかし躊躇し、育ててくれた祖父母を裏切ることはできないし、結婚するとしても、相談なしにいま決めることはできない、と答える。祖父母と話し合ってからかならず迎えに行く、と和才は断言したが、阿英の表情は強張っていた。

 後日、和才は衝撃的な事実を知る。阿英はその翌日、本当にどこかのごろつきにさらわれてしまったのである。

 

情事を重ねて

 和才は22歳のとき、魯園村の阿久という娘と結婚する。魯園村から和才の展当村へ嫁いだ女性が仲を取り持ったのであり、いわゆる親の決めた結婚ではなかった。彼らの婚姻生活はおおむね順風満帆であったように見える。

 ただその裏で和才は多くの女性と情事を重ねていた。上述の金秀との関係は相変わらずつづいていた。ある夜、和才は草むらで金秀と密会した。いつもは和才が草むらに寝転がって金秀を待つのだが、この夜は金秀が先に来て待っていた。そして愛の営みが終わったあと、彼女は言った。

「余才(和才のこと)、あんたは獣といっしょだよ。天罰を受けてもあたしは知らないからね」

 このとき和才ははじめて女が金秀でないことに気づいた。叔父の妻にあたる女であり、同族だった。ナシ族の言い伝えでは、同族間で性交渉を持つと、天神が怒り、盲目になったり、雷に打たれて死んだりするのだという。この女は金秀と同い年で仲がよく、いつも彼女から和才がどんなにいいか聞いていたので、一度和才と関係を持ちたいと考えるにいたったのである。このように婚外の情事活動は自由だった。

 

大トンバへの道

 和才の師匠である東業恒は30人から40人ほどの弟子を擁していた。和才は東業恒の息子である阿光や他の弟子を差し置いて第一弟子に抜擢される。和才は記憶力にすぐれ、トンバ経典や儀礼のやり方を習得するのが速かった。

 和才は汝盤肯村の大トンバ、阿塔に指名され、「シャラウ」という特別の儀礼を執り行った。彼はこれによって小トンバから大トンバになったのだといわれる。彼はまた情死者のためのハラルク儀礼にも精通する。もともと展当村を含む東山地区にはハラルクがなかったが、和才によってはじめて導入されたのである。
 このようにして彼は近隣に名の轟く大トンバとなっていった。