テラペウタイ派と仏教 

 ケルステンが注目したのはエジプトやパレスチナへの仏教の浸透だった。マルセイユで発見された紀元前2世紀頃の頭部が欠けた神像は、古代ケルトの神と推定されるが、ケルステンの考えでは菩薩像だった。しかし仏教美術がさかんになるインドのガンダーラやマトゥラーでさえこの時期にはまだ仏像が現れていないので、それを菩薩像と断定するのはむつかしいだろう。

 つぎにケルステンが注目したのは、アレクサンドリアのフィロン(BC20?〜AD50?)が記すアレクサンドリア郊外のマリュート湖の湖畔に住んだテラペウタイ派だ。パレスチナのエッセネ派やナザレ派とよく似ていて、戒律の厳しい清浄な生活を送っていた。キリスト教はこれらの宗教共同体から生まれたものかもしれない。またその共同体は仏教のサンガを彷彿とさせるとケルステンは述べている。テラペウタイ派(Therapeutae)はセラピー(therapy)と語源がおなじで、治療師の意味を含み、そのことも仏教の僧侶と共通するのである。

 既述の裸の哲学者とも重なる部分があるだろう。紀元前3世紀のマウリヤ朝のアショーカ王(阿育王)はヘレニズム諸国にまで仏教の教えを広めたといわれる。具体的には仏教の宣教師を各地に派遣したはずだ。それならば、裸の哲学者やテラペウタイ派が仏教徒であったとしても驚きはない。

 
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