イエスの墓発見の経緯 

 アフマディヤ派の教祖「約束されたメシア」グラーム・アフマドは、イエスが磔刑のあとも生き延び、インドにまでやってきたという説を唱えながらも、おそらくその時点ではカシミールのイエスの墓については知らなかった、とサラフッディンは考える。

 それについて知らせたのは、アフマドの信者だったグジャラートのハリファ・ヌル・ディンだった。スリナガルの墓に埋葬されているのがユズ・アサフという預言者だと聞いて、グラーム・アフマドは小躍りしたにちがいない。たんなる聖人ではなく、預言者だとすれば、それはイエス・キリストにちがいない。

 すぐに調査をするようヌル・ディンに命じた。彼はスリナガルに4か月滞在し、情報を集め、556人の署名とともにローザバル廟に眠っているのがイエス・キリストにほかならないという証言を得た。ヌル・ディンは情報とともに、ローザバル廟のスケッチをアフマドに渡した。

 グラーム・アフマドはそれだけでは満足せず、弟子のマウルヴィ・アブドゥッラーを派遣し、さらなる調査を命じた。その後アブドゥッラーからの手紙を受け取り、アフマドはローザバル廟の主人がイエス・キリストにほかならないことを確信する。その手紙の文面(ザヒド・アジズの英訳をもとにした)は以下のとおりである。冗長で、繰り返しが多く、情報量もそれほど多くないので、前半のみを収録した。

 

アブドゥッラーからの手紙 

 あなた様のご命令により、卑しき者であるわたくしはスリナガルのその場所へ行ってまいりました。聖なる廟にしてアッラー(平安あれかし)の預言者、王子ユズ・アサフの墓であります。わたくしはできるかぎり力を尽くして調査をおこないました。長老らとできるだけ話をし、廟を頻繁に訪れる人々や地元の人々から積極的に話を聞きだしました。

 親愛なる方よ、この調査からこの墓がアッラー(平安あれかし)の預言者、ユズ・アサフのものであることがはっきりしました。この墓があるあたりに住んでいるのはムスリムばかりです。ヒンドゥー教徒はいません。よってヒンドゥー教徒の墓もありません。たしかな筋の情報によれば、この墓は1900年前から存在するそうです。ムスリムはこの墓を聖廟として敬い、たびたび詣でてきました。この神の使徒は遠い国からやってきて人々に教えを説いたというのが一般的な見方です。彼らが言うには、ムハンマド(平安と祝福あれかし)の600年前の聖者だそうです。

 これまでどうして彼が来たことが知られていなかったのでしょうか。いずれにしてもこのことは事実として証明されています。かなりの高い確度でカシミールのムスリムからユズ・アサフという名の預言者で王子であることが認識されているのです。この国のヒンドゥー教徒からはいかなる称号、たとえばラジャ、アヴァタル、リキ、オムニ、シッダなどは与えられていません。一方、だれもが彼のことをナビと呼びます。ナビは、イスラム教徒にも、イスラエル人にも使われる言葉です。聖なる預言者ムハンマドのあと、イスラム教には預言者が現れていません。ですからカシミールのムスリムはこの預言者がイスラム以前に来たと考えるのです。

 しかしながらまだ結論には達していません。ナビという言葉が二つの国で預言者を意味するなら、つまりムスリムとイスラエル人の預言者なら、そしてイスラムではムハンマド以降に預言者が現れていないなら、彼をイスラエルから来た預言者と断定してかまわないでしょう。二つの言葉、二つの国に限定されるのですから。しかし預言者というものはなくなりましたので、この預言者はイスラエル人ということになるのが必然なのです。(以下略)





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