マグダラのマリアはマガダ国から来た 

 さて、読者を混乱に陥れよう。スザンヌ・オルソンは、アジズ・カシミリが列挙したイスラエル周辺とカシミール周辺(インドを含む)の共通する地名(一部は人名)を提示し、比較している。オルソン自身が述べているように、これらのいくつかは偶然の産物であり、われわれをミスリードする可能性があるが。

 

<地名(人名)比較表> 

ユデア(Judea

アヨディヤ(Ayodiya, Iodiya

マグダ(Magdha

マガダ(Maghada

カシル(Kashir

コシェル(Kosher

ベテペオル(Bethpeor 申命記34章)

バンディポール(Bandipore

ハラン(Haran 列王記下19章)

ハルワン(Harwan

テブハテ(Tibhath 列代志上18章)

チベット(Tibet

ラダ(Laadah 列代志上4章)

ラダック(Ladakh

ヘシボン(Heshbon 申命記4章)

ハスバル(Hasbal

 

 オルソンが偶然の産物として片づけなかったもののひとつがマガダである。マグダラ(マガダンとも)のマリアのマグダラは、マガダ国ではないかというのが(どのくらい真剣かわからないが)彼女の主張のようである。マグダル(magdal)は塔を意味し、ジッグラト(メソポタミアの聖塔)を表すとともに、その聖職者を指すこともあるという。するとマグダラのマリアのマグダラは聖職者のタイトルだったのかもしれない。

 オルソンによると、東方教会は古くからマグダラのマリアはマガダ国から来たという説を唱えていたという。マガダ(摩訶陀)国はブッダの時代はすでに大国であり、マウリヤ朝のアショカ王の頃にはインド亜大陸のほぼすべてを版図におさめていた。古代インドそのものといってもいい大国だった。もしマグダラのマリアがマガダ国から来たというのなら、インド文化や哲学をイエスに伝えたのは彼女だったということになる。あるいは彼女がイエスをインドへ、カシミールへといざなったのかもしれない。もちろんこれはあくまでオルソンの壮大な仮説なのだけれども。

 



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