(5)象と話すイェシュア
サティヤは寺院のなかのアシュラムを訪ねた。蝋燭が灯るだけの暗闇の中に、スワスティカ・アーサナ(吉祥座)の姿勢を取った人々が身動きすることなく、聖なるオーム音(AUM)を唱和している。存在の四元素が見事に調和されていた。このなかにイェシュアがいるはずだった。サティヤがイェシュアと会うのはじつに1年2か月ぶりだった。
サティヤは父親から貿易商としての仕事を徹底的に教え込まれていた。隊商は二度ペルシアへ行き、中国やもっと近場には何度か行き来していた。一方のイェシュアはインドに来た頃の若造ではなかった。彼はすっかりおとなになっていた。
イェシュアは両手をあわせて「ナマステ」を示していた。「ナマステ」の挨拶は、対話者のアートマと調和するもっともよい方法だった。
「ずいぶんと謙虚なんだね」とサティヤは冷やかすように言った。
旧交を温めながらふたりが歩いていくと、象が近づいてきた。イェシュアはその大きな耳に何かささやくと、象は呼応するように大きな声をあげた。イェシュアは笑いながらその鼻を軽く叩いた。象はその巨大な鼻でイェシュアを包み込もうとした。それから象は威厳を示しながら去って行った。
「イェシュア、いま象と話をしていたように見えたけど」
「まあ、そうだね。友だちだからね」
「友だち?」
「ぼくはいつも彼に話しかけているし、彼もぼくの話すことを聞いてくれるんだ」
「いま、象に何と言ったの?」
「ここにいる人、つまりきみが友だちであることを伝えたんだ。ぼくたちが抱擁の挨拶をしたとき、ぼくがきみに襲われているのかと思ったみたいだ。だから大丈夫だよって教えたのさ」
作者はおそらく鳥と話をすることができたアッシジの聖フランチェスコ(1182―1223 フランシスコ会の創設者)を念頭に置いていたのではなかろうか。イタリアの丘陵の美しい村にいるフランチェスコが鳥なら、インドに滞在しているイエスには象がふさわしい。象と話すことのできるイエスというのもなかなかしゃれているではないか。
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