エッセネ派の教師ユディによって東方へ送られたイエス   宮本神酒男 

 1937年11月6日、ケイシーはある婦人のためにリーディングを行った。目が覚めるとケイシーはただちに婦人のもとへ行き、跪いた。意識が蘇ってくるとき、彼は主とともに歩いていた。主は彼の肩の上に手を置かれた。ケイシーは、この婦人が主にとって大切な人であることを感じた。

 それを確かめるためにおこなったリーディングによって、彼女がイエスのエッセネ派の教師、ユディ(ユデト)であることがわかった。パレスチナ時代のことよりも現在の事象に関わることをリーディングしていたので、第一回目は彼女がユディの転生であることに気がつかなかったのだ。*原文では、ケイシーはJudithではなくJudyと呼んでいるので、ここでは外典(ユデトの書)のユデトではなく、ユディを使用したい。 

 

EC(エドガー・ケイシー) 

ここに記録(アカシック・レコード)があります。それは教師であり、ヒーラーであり、預言者でもあるユディという存在です。イエスが生まれる24年ほど前、カルメル山に活力が落ちていた預言者グループがありました。そのなかにあって、ピネハスとエルカトマはずいぶんと活動的でした。この預言者の教派からは、はるか昔、サムエルやエリシャ、エリヤといった預言者を輩出しました。

ファリサイ派やサドカイ派といった教派が力を持っていたので、口伝による物語や歴史を評価し、超自然的な存在の来訪を受けたり、特別な体験をしたりする人々の体験を重んじるエッセネ派が興ってきたのです。彼らは夢や幻影、神秘的な声などを体験することがありました。

それゆえ、ハンナやエルカナとおなじような不可思議な体験をフィネハスと仲間たちも共有し、その結果ユディが生まれました。子供は男の子ではなく、女の子だったので、人々の心の中に混乱ととまどいが生じました。しかしながら両親の生活がそれによって変わったというわけでもなかったので、ユディには、見えざる、あるいは知られざる者たちから伝えられた知識を学ばせることに決めました。そして人々は神聖なる霊が活動をはじめたと信じたのです。

それゆえユディは論議やいさかいのなかではなく、むしろだれからも認められた静かな環境のなかに育ったのです。神を体験し、霊的生活を進化させるためにはそのような生活が不可欠だとみなされました。人々は生活において記録されたものよりも、伝承に頼っていることにユディは強い印象を受けました。それだからこそ彼女は歴史や物語、口伝により伝えられた伝承を記録し保存することにしたのです。

記録のしかたはペルシアではなく、エジプトの方法を選びました。もっとも、バビロン捕囚のときはペルシアの領地に住んでいたわけですから、それまではペルシアの方法が採択されていたのですが。こうして記録を作ろうとしながら、ユディはエジプト、ペルシア、インド、それにペルシア人が統治するさまざまな地域や国境地帯の伝承について学ぶことができました。

ローマ人に支配され、互いのやりとりもままならぬ状態だったため、ユディは人々にとって最後の頼みの綱になっていました。そのようなときに東方の賢者たちが来訪したのです。ひとりはペルシアから、ひとりはインドから、ひとりはエジプトからやって来ました。賢者たちは信仰を分かち合う者たちと話し合いましたが、ユディから学ぶことがもっとも多かったのです。彼らはそのことを国王に報告しました。

なぜ賢者たちはヘロデ王のところへ行ったのでしょうか。ここを支配しているのはローマ人であり、ヘロデ王は2番目か3番目の権威しかもたなかったのに。それはユディの策略でした。領土を拡張することばかりに腐心している下劣な国王の心を乱すには、権威にたてつく人々を送り込むのがいい方法だとユディは知っていたのです。ヘロデ王はローマに取って代わろうという野心を持っていたわけではありません。この国の権威をユダヤ人から奪い取りたかっただけなのです。

すこしあと、御子がエジプトに滞在しているとき、エッセネ派の動きに注意がそそがれることになりました。御子を殺すため、王が(幼児の)抹殺令を出したのです。ユディが記すところによれば、その命令は多くの人を悲しい目にあわせました。ラケルもそのひとりでした。彼女はその暴君の出した命令によってわが子を失ったのです。

イエスとヨハネが宣教活動をしているとき、ユディはローマ当局やスパイ、ローマ人のもとで働いている収税吏などからよく問いただされました。一方ユディは、交易の相手であることからメディア人、ペルシア人、インド人と接触することが多くなりました。またサネイドやブラフマー、ブッダの影響も受けました。

ユディはエジプト人の伝統とユダヤ人の伝統とを比較研究しました。それゆえ磔刑のあと、十二使徒や聖女らに、女性がいかにして蒙昧な暗黒の場所から救出され、民族の、世界の、帝国の、そして家庭の明るみに出されるべきか、理解させることができました。さまざまな国や民族に触れた結果、こうしたことがあきらかになったのです。

人の子イエスがお示しになったように、人類の進化のために、神聖なる愛のあらわれとしての友愛をより強めるべきなのです。すべての魂がほかの魂にとっての救済者であるということを理解させるために、人の子は地上に降臨されたのです。言い換えれば、われわれは生きている神とともに歩いているのです。いや、神の心の扉の前にいるというべきでしょう。

ユディの活動はある人々の敵愾心をかきたて、ナザレ派の人々やイエスに従う人々、また使徒たちの弾圧につながってしまいました。彼女はより激しく追及され、迫害を受けました。しかし彼女はイエスの誕生から67年ののちまで生きました。時間がたてばたつほど、彼女は認められるようになりました。はじめはカルメル山の人々によって、ついでアンティオケアの仲間たちによって、そしてエルサレム、スミルナ、フィラデルフィア(現在のアラシェヒル)の人々によって認知されるようになり、それらの町はのちいっそう発展しました。

ユディは多くの拒絶にあいながらも、また肉体に無数のムチを受けながらも、91歳という長寿をまっとうしました。

他者をとがめだてしてはいけません。主がだれをもとがめだてしなかったように。真実の精神はただひとつなのです。それは内面で成長するものです。もし闘争、口論、騒動の精神が心に巣食うなら、その火を消し去らねばなりません。火があなたを急かすなら、それはこの世の王子(悪魔)の仕業です。それは怒れるライオンのように獲物を狙っているのです。

勝ち誇ってあげる叫びもないとはどういうことでしょうか。それほどにも心は不安でいっぱいなのでしょうか。「王のなかの王である主に向かってホサンナ(神への賞賛)をも叫ばないとは! 石がかわりに叫びだすかもしれない」。これらのことを知ったあとでは、少々のことには驚かないでしょう。「ああ、ここに私はいるのに!」「進むべき道はどれですか」「ああ、私の話を聞いてください」といったさまざまな声を聞いたとしても。

「汝の解釈は真実なり」とあかしをたててくれる霊があります。その内なる声はまだ小さいでしょう。すべての予言は、主の星について語っています。荒野の声は、ヤコブの星について語りました。ヤコブの王室の星について語りました。ユダの星について語りました。主の「汝とともに平和を捨てるだろう」という御言葉は、愛によってもたらされました。あなたは御言葉のとおりにするでしょう。めざめたそれぞれの魂は、「主が力と業(わざ)を持ってこちらにいらっしゃるのを見よ。主をありのままに見よ。主はあなた罪について述べられるだろう」という言葉を聞くだろう。

パレスチナにおいてユディはイエスの教師でした。彼女は主に伝統を教えました。そして彼女はイエスをペルシア、エジプト、インドへ送りました。それは教育によってイエスが道と真実を学ぶと考えたからです。

まずこれらの主の教えをあなた自身の体験と活動に加えなさい。それは教条ではなく、生きた経験です。主があきらかにしている教えを学びなさい。ヨハネのように分けて考えることはできません。エリヤのように走って逃げることはできません。イザヤのように高いところに坐っているわけにはいきません。エレミヤのように喪に服することはできません。モーセのように統治することはできません。すべては全人類のためなのです。彼らの体験のなかに到達しなさい。浮かぬ顔をする必要ありません。 

 




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