アレクサンドリアの隠棲者たち            宮本神酒男

 アレクサンドリアの哲学者フィロン(BC20?−AD50?)は、1世紀のユダヤ人に関するもっとも信頼の置ける情報源のひとつだ。イエスについても、何も語っていないという意味において、重要な証言者なのである。イエスは実在しなかったか、あるいは実在したとしても、注目するほどの存在ではなかったということがわかる。

フィロンはアレクサンドリアに生まれ育った。エルサレムを訪ねたのは一回きりだったようである。西暦40年頃、彼は老齢の身ながら陳情団を率いてローマへ赴き、皇帝カリギュラと面会している。当時、アレクサンドリアにおいては、ギリシア人とユダヤ人の争いが絶えなかったのである。しかしカリギュラはエルサレムの神殿に自身の像を立てることに夢中になっていた。フィロンらはこの悪名高きローマ皇帝に、煮え湯を飲まされる結果となってしまった。

 アレクサンドラは古代の叡智が集約された都市だった。マケドニアのアレクサンドロス大王は紀元前332年頃、エジプトに侵攻し、アレクサンドラの建設を命じた。将軍のひとりであったプトレマイオスがプトレマイオス朝を開き、のちに巨大な図書館を建てた。アレクサンドラ図書館は70万巻ものパピルス文書を所蔵するまでになった。数百年もの間この人類の「知的財産」は保たれていたのだが、西暦4世紀頃、キリスト教徒によって焼き払われてしまった。

 ここにはエジプト、ギリシア、ローマだけでなく、シュメール、ペルシアそしておそらくインドからも叡智が集まってきていたと考えられる。たんに書物が集められたのではなく、学者もまたやってきて、敷地内に暮らした。エフェソスのゼノドトスやロードスのアポロニオスといったいわゆるアレクサンドリア学派と呼ばれる学者たちはここでアカデミズムを満喫した。シラクサ出身の数学者アルキメデスや医学者ガレノス、天文学者プトレマイオスもここで学んだかもしれない。

 こうした時代背景を考えると、アレクサンドリア郊外のマリュート湖の湖畔で世俗をのがれて生活をしていたテラペウタイ派の意味合いも変わってくる。彼らはヒマラヤの奥地や砂漠の真ん中で修行をしているわけではなく、世界でもっとも発展した学園都市の郊外で隠遁生活を送っていたのだ。たとえ「裸の哲学者」のように半裸で暮らしていたにしても、すぐ都会生活にもどることができただろう。

 フィロンがヘファイスティオン(アレクサンドロス大王の幼なじみとは同名異人)に宛てた手紙のなかに、当時のアレクサンドリアやテラペウタイ派の様子が描写されている。

 私は隠遁生活を送ろうといつも考えてきました。しかし孤独になったからといって、精神的危機から逃れられるというわけでもありません。誘惑の道を閉じたとしても、またそれが開かれてしまうのは常なることなのです。その点テラペウタイ派の人々は、ほんとうに模範的です。

テラペウタイ派というのは、あなたにもなじみ深いであろうエッセネ派とよく似た集団のことです。彼らの隠棲小屋は、マリュート湖と接する地域に散在しています。男女を問わずメンバーは小屋に蟄居し、大半の時間を断食や瞑想、祈祷や読書に費やしています。彼らは神聖なる光輝、すなわち「内なる光」を深く信仰しています。安息日(サバス)ごとに集まって礼拝をおこない、ひそかに伝えられてきた秘密の物語に耳を傾けるのです。彼らはまた大いなる湖の岸辺で月光を浴びながら、厳粛なダンスを舞い、神秘的な行進をおこなって祝福するのです。

祝祭の日の場合はちがいました。湖のこちら側の岸辺にはかがり火が並べられ、光に満ちたガレー船が湖上に浮かび、そこで奏でられた音楽は水上に広がりました。そのときテラペウタイ派の人々は各自の隠棲小屋から出ることはありませんでした。彼らはそうしたこの世の見ものや耳にいいものを捨てた身なので、部屋にこもり、ひたすら祈祷にあけくれたのです。

 少なくとも彼らの原則は真実です。天上のことばかり考え、神の秘儀に参入した魂は、身体を悪とみなし、憎悪さえしたのです。人の魂は神聖なものであり、その至上の知恵は欲望のかたまりである身体と相いれないものとなってしまったのです。神は天上から神聖なるものを人に吹き込むでしょう。神聖なるものは、目に見えないものです。それは広げることはできるでしょうが、分割することはできないのです。過去から未来へ、天上から地上へとまたがるわれわれの思惟がどれほど広大であるか考えてみてください。天上と調和するのは容易ではありません。それは人の魂ではなく、祝福された聖なる霊の不可分なる一部なのです。聖なる本質について瞑想するのは人にとってもっとも高貴なる学習です。それは至高の真実と美徳を獲得するための唯一の手段であり、神を見ることは至上の喜びなのです。

 ここにはマンダ教やのちのマニ教に見られるような肉体憎悪、精神至上主義が見られる。文中で触れられているように、テラペウタイ派がエッセネ派と教義も生活スタイルも近いことがわかる。しかしこのあたかも出家して隠遁生活を送っているかのようなスタイルは、仏教に近いとまで言えるのだろうか。

 

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