イエスはエッセネ派の共同体で学んだ 

 

テラペウタイ派はエッセネ派か 

 上の項目を見ると、あたかもエジプト・アレクサンドリアのテラペウタイ派が仏教の一派であるという説が有力であるかのように勘違いされるかもしれないが、実際は有力どころか、仮説としても認められていない。イエスと同時代の哲学者アレクサンドリアのフィロン(BC20-AD50)が『黙想生活(De vita contemplativa)』のなかで、マレオティス湖(現在のマイオレット湖)湖畔に住む裸の哲学者たち、すなわちテラペウタイ派(Therapeutae)について詳しく述べている。フィロンによれば、彼らは個別に庵室で六日つづけて修練し、七日目、一堂に会する(男女に分かれて並ぶ)という。瞑想修行する点などは仏教やヒンドゥー教の影響がうかがえるが、七日目に集会を開くことなどは、やはりユダヤ教の一派かと思わせる。テラペウタイ派がアショーカ王の時代に宣教のために移住してきたインドの仏教徒そのものとはいえないが、移住した仏教徒によって瞑想中心の宗教グループが生まれた可能性までは否定できないだろう。

 チャールズ・フランシス・ポッター博士は『明かされたイエスの失われた歳月』のなかで、アレクサンドリアのテラペウタイ派はエッセネ派の分派だと主張する。「テラペウタイと呼ばれるアレクサンドリアの一派はその名にもかかわらず、医者でも看護人でも治療者でもない。彼らが祈りや瞑想のなかで神を待ちながら求めているのは、天界の治療なのである」と、精神的な求道者であることを強調する。また、死海のエッセネ派との違いを列挙する。

●女性が含まれること。(男女平等)

●断食すること 

●預言はおこなわない 

●厳格な菜食主義者であること 

●コミュニタリアン(一種の共産主義者)ではないこと 

●それぞれが庵を持ち、庵と庵の間はある程度離れていること 

●財産を預けて共同資産とすることはない 

 これだけの相違点があるのに、テラペウタイ派がエッセネ派の分派などといえるだろうか。しかもこれらは彼らが仏教徒であることを示しているように見えなくもない。仏教もまた最初は女性を拒んでいたが、フィロンの時代にはすでに相当の尼僧がいたと思われる。ポッター博士はつぎにエッセネ派とテラペウタイ派の共通点を挙げる。

●富の放棄 

●質素な生活 

●簡素な生活と高度な思考の組み合わせ 

●神秘主義 

●讃美歌と讃美歌の曲作り 

●日の出崇拝 

●動物供儀の否定 

●禁欲主義 

●東方(ペルシャやインド)の神秘主義的黙想との結びつき 

●ユダヤ教の基本的部分 

●グノーシス的傾向 

●書物への愛、とくにエノク書、暦や聖数、黙示録、智慧の書などに関連するもの 

 こうしてみるとエッセネ派やテラペウタイ派は仏教よりもグノーシス思想やユダヤ教の神秘主義と近かったことがわかる。一方でゾロアスター教や仏教、ヒンドゥー教の影響が少なからずあったことはまちがいない。もし仏教を奉じる者たちがアレクサンドリアまで来ていたとするなら、イエスはインドにまで行かなくても遠くないエジプトの町で東洋思想に触れることができた。また死海近くのエッセネ派の共同体の書庫で、東洋思想を学んだかもしれない。