恐るべき幼時のイエス       宮本神酒男 

 

 13歳から30歳の間の時期だけが、イエス・キリストの生涯の謎ではない。奇蹟の誕生についてはマタイ伝1・18~25やルカ伝1・26~38、2・1~20に記され、12歳のときの過ぎ越しの祭のエピソードはルカ伝2・41~51に描かれるが、ルカ伝2・52に「イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された」とやや大雑把な少年期の描写があるだけで、イエスの幼少期のことはあまりわかっていないのである。信者であろうとなかろうと、イエスがどんな子供であったのか知りたくなるのが自然の理(ことわり)というものだろう。

 そのような一般の欲求にこたえてキリスト教初期から読まれてきたのが、グノーシス的なアポクリファ(外典)『トマスによるイエスの幼時物語』だった。同書は「幼時福音書(英訳では物語ではなく、福音書)のなかでももっとも早いもので、150年頃に書かれているが、最初の数世紀、相当の人気があった」(ウィリス・バーンストーン)という。

 幼時福音書はある程度このような素朴な疑問に答える役目があった。たとえば、「イエスの父ヨセフがダビデの血統を受け継いでいるのなら、処女マリアから生まれたイエスはダビデの後継者とはいえないのでは」という多くの人が抱いた疑問に答えるかたちで、『ヤコブによる幼時福音書』の存在意義がある。このなかでは、マリアこそがダビデの子孫ということになっているのである。

 現代のわれわれからすると、『トマスによるイエスの幼時物語』の内容は衝撃的だ。イエスは幼い時から、神あるいは神の子というより、強力なパワーを持った魔術師だったのである。生殺与奪の権を持つが、偉大なるリーダーとなるか、大悪魔となるかまだ決まっていないといったところだ。

 5歳のとき、イエスは言葉の力で激しい川の流れを止め、水たまりをいくつかつくり、水を清めた。そしてやわらかい泥をこねて12羽の雀をつくった。しかしこのことがサバト(安息日)を汚していることになると、目撃したユダヤ人の子供が父のヨセフに告げ口した。ヨセフが川辺に行ってイエスに注意すると、イエスは手をたたき、「去れ!」と命じた。すると雀たちは鳴きながら飛び去った。

 この一節を読んだイスラム教徒は、クルアーン(コーラン)の3章49を想起するにちがいない。

 イスラエルの子どもたちのもとに、神はイーサー(イエス)を使徒として遣わすだろう。(イーサーいわく)「神のしるしとともに私はやってきた。アッラーの許しを得るなら、息を吹き込んで、泥から作った鳥を飛ばすこともできるだろう。生まれながらの盲目(めしい)や足なえをなおすこともできるだろう。アッラーの許しを得るなら、死者をよみがえらせることもできるだろう」

 このクルアーンの一節は、あきらかに『トマスによるイエスの幼時物語』の一節をふまえている。幼時福音書はすべて正典には入っていないが、多くの人の目に触れていたことがうかがえる。またムハンマドも見たかもしれない『アラビア語の幼時福音書』というアポクリファがあり、1697年にはすでにヘンリー・サイクによって英訳されている。ここにはイエスの誕生、エジプトにおけるイエスとマリアがおこなった奇蹟、子供時代のイエスの奇蹟などが記されている。

 『トマスによるイエスの幼時物語』に話を戻そう。律法学者アンナスの息子が柳の枝をとり、イエスが集めた水を流してしまう。腹を立てたイエスが少年に向かって「目の前の木のようになるだろう」と言うと、少年は木のように立ち枯れしてしまった。またイエスが村を歩いていると、走ってきた子供がイエスの肩にぶつかった。ここでもイエスは腹を立て、「もうこれ以上進むことはないだろう」と言うと、少年は即座に倒れ、死んでしまった。死んだ少年の両親はヨセフのもとへ行き、村から出て行くよううながす。「でなければ、呪うかわりに祝福することを学ぶべきです」と言った。ヨセフはイエスの耳をつまんで文句を言うが、イエスは逆にヨセフをなじった。近くにいたザッカイと言う名の教師が家庭教師を買って出る。しかし「アルファの本性も知らないで、ベータを教えようというのか」とやりこめられてしまった。子供に負かされた年老いた教師ザッカイはイエスの説明が理解できず、ひどく恥じ入る。人々がザッカイを慰めていると、イエスは言った、「私は上から来た者であり、彼らを呪い、上に呼ぶのである」と。するとイエスが呪った者たちはみな救われた、あるいは癒された。

 このあとはポジティブなエピソードがつづく。ある日イエスの友だちが屋根から落ちて死んだ。人々はこれもイエスのせいだと考えた。そこでイエスは少年を生き返らせて、そうでないことを証言させた。またある少年が斧で木を割っているとき、斧が落ちて足を怪我し、出血多量で死んでしまった。イエスはそこへ駆けつけ、傷ついた足を持ち上げると、つぎの瞬間怪我は治り、少年は生き返った。イエスが母親のために水がめで水を運んでいるとき、水がめが下に落ちて割れてしまった。このときイエスは上衣に水を入れ、運んだ。イエスは父親と一緒に畑に種まきをしに行った。イエスが種をひとつまくと、100コルの麦がとれた。ヨセフの子ヤコブ(つまりイエスの兄弟)がマムシにかまれてしまう。そこへイエスが駆けつけ、息を吹きかけると、痛みはおさまった。マムシは体が裂け、死んでしまった。

 後半のポジティブなエピソードは、偉大なる人物の伝説にはありそうなものばかりである。しかし前半のネガティブなエピソードはわれわれには理解しがたい。肩にぶつかってきただけで、その少年を呪い殺すとはどういうことなのだろうか、たとえ最終的に生き返るとしても。偉大なミラクル・ワーカーであることを強調するために、その呪力を示すたとえ話なのだろうが、魔術師シモンならともかく、救世主イエス・キリストにはふさわしくないエピソードである。私はチベットの偉大なる密教行者ミラレパを思い浮かべてしまった。ボン教徒だった頃、ミラレパは意地悪な叔父夫婦をすさまじい呪いパワーで殺してしまう。しかしミラレパはこのことを反省し、その恐るべきパワーを仏教の徳を積むことに注ぐようになるのである。

 仏教ならともかく、キリスト教にこの『トマスによるイエスの幼時物語』を受け入れる余地はなかった。あれほどの人気を誇った外典福音書も、次第に忘れられていくことになった。