約束されたメシア(救世主)      宮本神酒男 

 1881年、ミルザ・グラーム・アフマドは神秘的な体験をした。

 ある夜、私は執筆に忙しかったが、眠気に襲われ、床につこうとした。そのときだった、聖なる預言者、ムハンマドの姿が現れたのは。そのお顔は満月のように輝いていた。預言者は私に近づき、抱擁しようとしているのだと感じた。その身体からは光線が放出され、私の身体を貫いた。その光線は通常の光線とおなじように見ることができたので、スピリチュアルな目だけでなく、物理的な目でも見ることができるのだと気がついた。

 聖なる預言者が私を抱擁したあと、私の前に啓示の扉が開け放たれた。そして主が現れ、私にこうおっしゃった。

「おおアフマドよ、神は汝を祝福してきたのだ。汝が敵に与えた一撃は、汝ではなく神によってなされたのだ。神は汝に聖なるコーランの知識を授け賜うた。それゆえ先祖が警告を受けなかった人々に警告を与えるべきである。そうして罪人のやりかたはあきらかになるだろう」

「人々に宣言するのだ、汝が聖なる使命を負ったことを。汝自身がまずその使命について理解せねばならぬが」

 文中の「一撃」とは前年(1880年)にはじめて書いた著作『ブラヒーン・アフマディッヤ』のことである。この本のなかでミルザ・グラーム・アフマドはイスラム教に関する300の論点を問答形式によって提示し、おのれの考え方を展開している。

 この本を書いた時点では、彼はまだ神からの啓示を受けていないのだが、のちの独創的な主張の萌芽が見られ、扇動的な内容だった。これを読んだのちに論敵となるイスラム原理主義者のムハンマド・フサインはよほど興奮したのか、200ページに及ぶレヴューを書いたほどだった。

 ヒンドゥー教徒やキリスト教徒にとってこの論書は挑発的に見えたようだ。のちに悲劇的な関わりを持つことになるヒンドゥー教アーリヤ・サマジ派のレーク・ラムは『ブラヒーン・アフマディッヤへの反駁』という本を書いて応戦した。そんな本を書かせるほどグラーム・アフマドは刺激的で、危険な香りに満ちていたということなのだ。

 1886年は、いわば啓示の年だった。

 汝の嘆願を聞き入れて、わが慈悲のしるしを汝に授けることとしよう。汝の祈祷に名誉を与え、汝の旅を祝福するとしよう。

 世界が終焉を迎えるまで、神が汝の名を忘れることはないだろう。そして汝の言葉を世界の果てまで伝えてくださるだろう。

 このようにグラーム・アフマドは神の代理人に指名されたのであり、その役目はイスラムの精神を世界に広めることだった。神のメッセンジャー、すなわち神の使徒である。

 神は啓示のなかで、彼がイエス・キリストと同等の地位にあることを明言した。マリアの息子と同様メシア(救世主)であり、この時代の求めるムジャッディド(宗教改革者)だったのだ。

 彼はイエスやモーゼのようにチッラ、すなわち40日間の断食修行を試みた。イエスやモーゼは荒野でそれを行ったのだが、彼はホシャプールという町の郊外の家屋を場所として選んでいる。この環境下で彼はいっそう多くの神の啓示を受けることになったのだ。

 そして1889年1月、グラーム・アフマドは「10の条件」を発表し、彼が主宰する共同体財団を発足させた。この時期、彼は急速に同調者、あるいは信者を獲得していくのである。

 しかし自らをイエスと同等に見立てたこと、ムハンマドのつぎの神の使徒を自認したことは、とてつもなく大きな問題点をはらんでいた。



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