盲人、足なえ、聾唖者を奇跡で治しなさい     宮本神酒男 

 ムハンマド・フサインとの討論会につづくマーティン・クラークとの討論会は、まったく異なる理由から行われることになった。

 1882年、マーティン・クラークは伝道の拠点としてアムリトサル地区のジャンディヤラ村にCMS(チャーチ・ミッショナリー・ソサエティ)の医療ミッションの支部を確立した。じつは1854年から伝道活動は行われていたのだが、十分に成功しているとは言い難かった。支部発足後、宣教師たちが神の愛を説き、イスラム教の愚昧性を強調するにおよび、人々は黙っているわけにはいかなくなった。

 キリスト教のほうはキリスト教のほうで公開討論会は布教活動に役立つのではないかと考え始めていた。村人のイスラム教の知識は限られたものであり、それをさらけだしてキリスト教の優位な点を説けば、多くの転向者を獲得できるのではないかと目論んだのである。

 ところが村の長老たちはマーティン・クラークの討論会の提案の手紙をアフマドに渡してしまった。クラークはあわててしまった。該博な知識の持ち主とはいえ、イスラム教内で異端視されるアフマドがイスラム教を代表するとは予想していなかったのだ。クラークが再考を迫れば迫るほど、長老たちはアフマドへの期待を高めていった。

 公開討論は2部に分かれ、それぞれに6日間ずつあてることになった。暑さを避けるため朝6時から11時まで行われることになった。参加者はキリスト教とイスラム教からそれぞれ20名だった。

 宣教師たちはこの討論会を聖戦と呼んだ。

 最初の6日間のテーマに選ばれたのは「生きている徴(しるし)によって真実を証明する」と「イエスの神性」だった。

 徴(しるし)によって証明するというテーマに、キリスト教側は乗り気ではなかった。キリスト教の真実性を示すのに、奇跡を見せる必要はないと考えたのだ。しかしアフマドはどんな奇跡でも見せられるだろう、と彼らは考えた。

 イエスの神性について、アフマドは論理的に攻めた。旧約聖書を含むすべての聖典の神の使徒はもともと人間だったではないかと彼は指摘した。イエスの体験が人間の体験と違うという例を見せない限り、イエスの神性を受け入れることはできないと彼は主張した。

 キリスト教側のアブドゥラ・アティムはそれに対し、信仰に導くのは理性と体験だけではないと反駁した。

 激しい討論がつづくなか、キリスト教側はこういうことを言った。

「イエスは盲人や不具者を癒すことができました。もしアフマドが約束されたメシアだというのなら、おなじことができるのではありませんか」

 最終日に彼らは盲人、足なえ、聾唖者の三人を連れてきた。アフマドが本当に救世主かどうか試そうというのだ。

 場内は静まり返った。

 アフマドは躊躇することはなかった。盲人の目が見え、足なえが歩けるようになり、聾唖者が話せるようになったのはキリスト教の聖典のなかの話だった。彼はそれを信じていなかった。聴衆のなかのキリスト教徒はこのエピソードをよく知っているだろう。もしそこに記されているとおりのことをここでやってみせたら、むしろキリスト教の真実性を見せることになってしまうのだ。何もできなくて黙りこくるアフマドを彼らは期待しながらほくそえんでいるのだ。何という罠だろう。

 彼は盲人、足なえ、聾唖者の三人を会場から追い出した。

 討論の終わりにアフマドはこう言った。

「アティムさん、あなたは著書『聖書の内なる意味』のなかで、ムハンマドは反キリストだとおっしゃっていますね」

 神はアフマドに、討論のなかで間違った道に従った者は15か月以内に地獄に落ちるという啓示を与えたという。

 それを聞いたアティムは真っ青になり、両目をふさぎ、舌を出し、頭を振るという否定のポーズを取った。

「悔い改めます、悔い改めます、不敬を働くつもりはまったくございません」と必死に訴えた。


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