カシミールのモーセの墓

 聖書学者のアーサー・ピークによると、一般的にパレスチナと思われている約束の地は、実際どこにあったか特定できていないという。具体的には、聖書に記載されているベテペオル、ヘシボン、ピスガ、またネボ山の位置が割り出されていない。(「申命記」3434章)

 ホジャ・ナズィル・アフマドの推論によれば、開かれた家を意味するベテペオルは古代においてベーハトと呼ばれていたカシミールのジェルム川に相当する。カシミール地方テフシル・ハンドワラのバンディプルはまた、ベーハトプールと呼ばれていた。

 ヘシボンは池の名前だった。ベーハトプールの15キロ南西には魚の池で有名なハシバという村があった。それに隣接するアウトゥ・ワットゥ(8通りの意味)はマカミ・ムサ、すなわちモーセの場所として知られていた。

 聖書注釈者のジョン・R・ドゥメロウによると、ピスガは「申命記」のアバリム山とおなじだという。ピスガはカシミールにおいてはハシバの北東5キロの地点にある。ネボ山はアバリム山の峰のひとつである。ゆえにネボはアバリム山の別名だろうとホジャ・ナズィル・アフマドは推論する。意味はそびえたつ山だ。

 モーセはここで死に、ここに埋葬された。

 モーセの死は聖書につぎのように描かれる。

 主の僕(しもべ)モーセは主のことばのとおりにモアブの地で死んだ。主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はいない。(「申命記」34章5節)

 現代において、イエスばかりかモーセまでがカシミールに来たと本気で信じている人は多くないだろうと思う。しかしモーセの墓と呼ばれる古い聖者廟のほか、モーセが休憩したとされるアヤティ・マウラ(神の徴)という聖所やサンギ・ムーサー(モーセ石)などが厳として存在するのもたしかなことなのだ。

 ホジャ・ナズィル・アフマド自身、このモーセの墓を訪れている。彼はベーハトプールから13キロのアハム・シャリフという場所でポニーに乗り、山を上って行った。ガファル・リシという管理人によって4つの廟に案内された。そのうち3つは隠者サン・ビビと二人の弟子の廟であり、4つめがモーセ廟だった。両側には門柱のように、400年前に植樹された2本の木が立っていた。ほかの3つの廟はムスリム式に南北の方向に向いていたが、モーセ廟はユダヤ式に東西に向いて建てられていたという。

 これがモーセの墓であるという証拠はないにせよ、完全に否定することもできない。ムーサ―(モーセ)はごくありふれた名前なのだから。



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