イエスは船大工だった?  宮本神酒男 

 

 12歳から30歳までの「失われた歳月」のあいだイエスは何をしていたのか、さまざまな説が唱えられてきた。村の大工や石工でなく、船大工だったのではないかと唱えるのはグリン・S・ルイスである。著書『イエスはブリテンに来たのか』のなかでルイスはその可能性を検証する。

 マルコやルカの福音書にイエスが幼少の頃生まれ育ったナザレを訪ねる場面がある。人々はイエスを見て驚き、顔を見合わせながら「この人はあの大工なのか」「この人はヨセフの息子なのか」と口にする。あきらかに、数週間や数か月の不在ではなく、何年ぶりかの帰郷であることが感じられる。かわいらしかった利発な少年は立派な青年になり、風格さえ漂わせていたのだろう。

 ナザレからカペナウムに移り住んだとき、ペテロは税収吏から師は税を収めているかどうかと聞かれる。納めている、とペテロは答えている。このあとイエスはペテロに言った、「この世の王たちは税や貢をだれからとるのか、自分の子らからか、ほかの人たちからか」と。もちろん「ほかの人たちから」税をとる。イエスはもともと地元の人間なので税を払う義務はないが、ほとんどよそものになっていたので税を納めることにする。釣りをしてとれる最初の魚の口に銀貨が一枚はいっているので、それを納めなさいとイエスは言う。「カエサルのものはカエサルに」という有名なフレーズはこのあと出てくる。神に従うことと王に税を納めることは別次元の話というのだろう。(マタイ1724

 当時の多くの旅人がそうであったように、イエスも船大工だったのではないかとルイスは主張する。イエスは大叔父アリマタヤのヨセフの船に乗り、世界を見てきたというのである。弟子とともに船に乗っているとき嵐に遭遇するが、イエスひとり落ち着き払っていた。このエピソードはイエスが海になれていたことを物語っている。イエスは大叔父の船に乗って世界をめぐったが、何度か錫や銅を採るためにブリテンのコーンウェルにやってきたのではないかという。