秘教的なトマス福音書  宮本神酒男 

 アボット・ジョージ・バークにとって、聖典ともいうべきもっとも重要な書は『トマス福音書』である。自身による注釈書の序章で、バークは「今日のキリスト教は互いに争う好戦的な数千のセクトに分かれた多頭モンスターである」と皮肉を述べたあと、「他のキリスト教」としてインドのトマス派教会を挙げ、つぎのように説明している。

 「他のキリスト教」とは、イエスがエッセネ派という「家族」から、また「失われた歳月」のあいだインドから学び、その後「西方へ」すなわちイスラエルへ、自身によってもたらした宗教のことである。この宗教の教えが拒絶され、磔刑に処せられたが、復活したあと、インドへ戻り、ヒマラヤで20年かそれ以上平和にすごし、寿命をまっとうした。使徒トマスはイエスのあとを追ってインドへ行った。何年かのち、使徒トマスはエフェソス(現トルコ)に行き、聖母マリアの逝去に立ち会い、そのあとイスラエルに向かって旅をつづけた。そしてエッセネ派のクムラン教団の信徒にたいし、イエスがイスラエル人に教えた(実際には無駄に終わったが)宗教を実践するために、南インド(現在のケララ州)にともに来るよう説得した。彼らは同意し、南インドにやってきた。同時にカシミールの多くのバラモンもイエスと聖トマスの弟子となり、南インドへ移住した。『トマス福音書』のキリスト教は、このキリスト教である。(アボット・ジョージ・バーク『覚醒のためのトマス福音書』) 

 このバーク版「イエスのインド修行伝説」を受容できる人はそう多くはないだろう。ノトヴィッチのイッサ文書をいまも信じているのか、と問いただす人もいるかもしれない。もちろん、イッサ文書が偽書認定されたのは百年以上も前のことであり、それはノトヴィッチか、ほかのだれかによるフィクションである。

しかしだからといって「イエスはインドに来ていない」という証明はなされていない。まるで悪魔の証明のような話である。イッサ文書は偽書であったにしても、この伝説(仮説)を信じる人々は少なからずいたのだ。たとえばクリシュナ意識を唱えたグル、スワミ・プラブパーダは『自己発見の旅』のなかで「かつて人々は霊的な生活を見つけるためにインドへ行ったものである。イエス・キリストもそうだった」と述べている。

イエスがインドに行かなかったとしても、インドの精神文化が中東にまで波及していたのではないか、と考える人もいる。アショカ王は仏教の国内外への伝教に熱心であったし、バーレーンなどにインド人の居留地があったという説もある。そうするとどこかで、たとえばエジプトのアレクサンドリアで、イエスはインド的な修行法を学んだのではないかとも推測される。これらのすべてが否定されたとしても、教義が確立される前のキリスト教には、インドと共通する瞑想修行文化があったかもしれない。バークが言いたいのは、現在のキリスト教にはほとんど痕跡が残っていないが、初期のグノーシス主義が入り混じった混沌とした時代には、インドの精神文化に似た要素が多少なりともあったのではないかということである。

 バークが仮説の根拠としているのが、2世紀に成立したと思われるイエスの語録集『トマス福音書』である。この福音書の存在は古くから知られていたが、エジプトのオクシリンコスでパピルスの断片が発見されたのは、20世紀初頭のことだった。完全版となると、1945年12月のエジプトのナグハマディでの写本の発見まで待たねばならなかった。こちらはオリジナルがギリシア語で、コプト語に翻訳されたものだった。

 外典『ピスティス・ソフィア』によると、イエスは復活したあと、ピリポ、マタイ、トマスに「証人」として自身の言葉を書きとめるよう命じた。聖トマスがクムランのエッセネ教団を訪ねているとき、聖マタイは自分が記した福音書を彼に渡し、同時に聖トマスが彼にイエスの語録を渡した。この語録はグノーシス的傾向のある人々のなかで書写され、流布することになった。『トマス福音書』がグノーシス的であるのには、こういう事情があった。ただしNo.28に「わたしは世界のただなかに立った。肉体をもってかれらの前に現れた」と記しているように、イエスは物理的な身体を持っているとされていて、それを仮象とする典型的なグノーシス主義のとらえかたとは異なっている。

 正典福音書だけでなく『トマス福音書』においても、秘教であることが否定されている。正典で「わたしが暗闇であなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言い広めよ」(マタイ1027)、また「あなたがたが暗闇で言ったことは、なんでも明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められるであろう」(ルカ123)と書かれているように、『トマス福音書』においても「あなたが自分の耳に聞くであろうことを、あなたがたの屋根の上でほかの耳にのべ伝えなさい。誰でも明かりをともして、それを升の下に置かないし、それを隠された場所に置かない。むしろそれを燭台の上に置く。入って来たり出て行ったりする人々がすべて彼らの光を見るように」と、教えを公にすることをすすめているのだ。

 にもかかわらず、『トマス福音書』はあきらかに秘教的である。この福音書(イエスの語録)には解釈が困難な箇所が非常にたくさんある。言い換えるなら、イエスが使徒たちに直接教えるのでなければ、真の意味はわからないということだ。これはグルから弟子に直接伝授される密教の教えとよく似ている。

 『トマスによる福音書』の著者荒井献氏もまたつぎのように述べている。

 私見によれば、トマス福音書のイエスの言葉は確かに隠されている、つまり秘教ではある。しかし、それは決して局外者に対して閉鎖されているのではない。言葉の隠された意味を「解釈」できる資質のある者――「私の奥義にふさわしい人々」(62)にはむしろ開かれている。そもそも言葉の解釈を聞き、それを受け入れることが入会の前提である。

 私(宮本)はインドのマハークンブメーラ祭のとき、ナガ・サドゥー(裸の行者)のイニシエーションの場に居合わせたこがある。頭を剃った(以後髪は切らない)新参者はガンジス川で身を清める前にグルから「秘密のマントラ」を耳に吹き込まれる。こうして選ばれた者だけがグルの教えを受けることができる。ダラダラと日常を過ごしている者が、グルの教えを聞いただけで都合よく入会できるわけではないのだ。

ではイエスはグルのような存在だったのだろうか。聖書でイエスは「ラビ」と呼ばれているが、ラビはグルに言い換えられるだろう。『トマス福音書』は秘教的であり、密教的である。トマス派のキリスト教徒たちはどんなふうにこの福音書を用いたのだろうか。12人ほどの弟子たちの前にイエスのようなリーダーが立ち、イエスの言葉を読み上げながら(当時まだまだ黙読の習慣がなかった)解説をしたのだろうか。あるいは宝彩有菜氏が主張するように(『天の鳥と揺れる葦』)瞑想の修行が行われていたのだろうか。突飛な案のようだが、グノーシス的なイエスを信奉する集団が瞑想しながらイエスの言葉を理解するということが、実際あっても不思議ではない。

 エレーヌ・ペイゲルスは『トマス福音書』の一節(No.50)が参入儀礼のときに用いられたのではないかと指摘する。

 イエスが言った、「もし彼らがあなたがたに、『あなたがたはどこから来たのか』と言うならば、彼らに言いなさい、『私たちは光から来た。そこで光が自ら生じたのである。それは[自]立して、彼らの像において現れ出た』。もし彼らがあなたがたに、『それがあなたがたなのか』と言うならば、言いなさい、『私たちはその(光の)子らであり、生ける父の選ばれた者である』。もし彼らがあなたがたに、『あなたがたのなかにある父のしるしは何か』と言うならば、彼らに言いなさい、『それは運動であり、安息である』と」 

 儀礼のとき、新参者が質問(お前は何者か、お前はどこから来たか、お前はどこへ行くのか)にたいし何と答えるべきか、指南しているというのである。トマス派の洗礼か、第二洗礼(アポルトルシス)の際の新参者の模範解答といったところだろうか。これこそ『トマス福音書』およびトマス派が秘教的、あるいは密教的であった証しだろう。

 意外なことに、バーク自身はこれらの言葉が参入儀礼に使われたかどうかにはそれほど興味がないようである。しかし彼は光をもっとも重要なものとみなしている。祈りをささげるとき、つねにつぎのフレーズを終わりにもってきたという。

「キリストは光である。光はキリストである。私はキリストである。私は光である」

 

 さて、『トマス福音書』のNo.11を見てみよう。「この天は過ぎ去るであろう。そして、その上(の天)も過ぎ去るであろう。そして、死人たちは生きないであろう。そして、生ける者たちは死なないであろう。あなたがたが死せるものを食う日に、あなたがたはそれを生かすであろう。あなたがたが光にあるときに、あなたがたはなにをするであろうか。あなたがたがひとつであった日に、あなたがたはふたつになった。しかし、あなたがたがふたつになるときに、あなたがたはなにをするであろうか」。

 もっともわかりにくいイエスの言葉のひとつだ。荒井献氏ですら「四節(あなたがたが光にあるときに……)以下の意味は必ずしも明らかではない」と断り書きをしているほどである。しかしバークは「インド哲学(サナタナ・ダルマ)の知識なしでこれを理解することはできない」となにやら自信たっぷりなのだ。バークによると、ある聖トマス教会の聖職者は彼に「イエスの教えを理解するためにはインドの聖典を読まなければならない」と述べたという。

 ヒンドゥー教では、地界から上の三層はブール、ブヴァル、スヴァルと呼ばれる。このうちブヴァルは天であり、スヴァルは「その上の天」ということになる。この天も、その上の天も去っていく。世界は現れては消えていく。この世界の消失はサンスクリット語でプララヤ(pralaya)と呼ばれる。

バークが会ったドイツ・フランクフルトのコプト教会のマシュー神父は「永遠に天国にいられると多くの人は考えるが、それは誤解だ」と語った。「神にはそれ以上の何かがある。神によってわれわれは神の大いなる光に入るのだ」と述べたという。「光に入る」というのは、覚醒するといってもいいだろう。バークは旧約聖書「詩篇」から引用する。

「わたしが目覚めるとき、わたしはなおあなたとともにいます」(詩篇13918

「わたしは義にあって、み顔を見、目覚めるとき、みかたちを見て、満ち足りるでしょう」(詩篇1715 

 私たちは永遠の本質(真我と呼んでもいいだろう)を認識しなければならない、とバークは強調する。そして「死人たちは生きないであろう。そして、生ける者たちは死なないであろう」に関連して『バガヴァッド・ギータ―』の不死の教えを引用する。

「私も君も、ここにいるすべての王たちも、かつて存在しなかったことはないし、将来存在しなくなることもない。実は、始めも終わりもなく、永遠に存在し続けるのだ」(212) 

「非実在(物質現象)は一時的に現れても持続せず、実在(精神現象)は永遠に存続しつづけるが、真理を知る人は、この両者の本質をよく弁えていなければならぬ」(216) 

「万有にあまねく充満しているもの(=魂)は、決して傷つきもせず壊されもしない。いかなる者ともいえども、不滅の魂を破壊することはできないのだ」(217) 

「いかなる物質体もいつかは壊れるが、その中にあると言われる魂は、無限大でしかも不滅なのだ」(218 (日本ヴェーダーンタ協会翻訳) 

 「われわれは物質的肉体、物質的状態については認識するが、真我(その本質は命である)については忘れがちだ」とバークは述べる。そして「われわれは死を追い、命を否定する。死者を生き返らせる方法を探し、生きている真我を殺している」。

 われわれがひとつになっているときがある。しかしそれからふたつになる。そのときわれわれは何ができるだろうか。何もできない。非現実のなかでわれわれはどうしようもないのだ。しかしひとつだけ方法があった。それは覚醒である。ただ覚醒は状態であり、行為ではない。われわれは睡眠をやめ、現実のなかで目覚めるしかないのだ。

 バークは新約聖書の「エペソ人への手紙」の一節を引用する。「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照らすであろう」

 光の重要性は、新約聖書のなかで強調されている。

「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、闇のうちを歩くことがなく、命の光を持つだろう」(ヨハネ812

「神は光であって、神にはすこしの暗いところもない」(ヨハネの第一の手紙15) 

 バークはさらに一歩進めて「オリジナルのキリスト教において、もっとも高度な神秘的な体験は聖なる光の幻影である。そのなかで神秘家は、光と一(いつ)になったことがわかる」と述べる。このことを理解して、はじめて『トマス福音書』No.83を解析することができるという。「人々に像(複数)は見えている。しかしそれらの中の光は、父の光の像(単数)の中に隠されている。彼(神)は姿を現すだろう。しかし彼の像は、彼の光によって隠されている」。

 宝彩氏によると、イエスはブッダのように光明を得たのだという。「本来の自分に出会うには」とつづける。「真我を覆っている五蘊三層の、特にプログラム域を一気にきれいにする必要があります」。そしてそのとき「信じられないような大音響と大光明がアタマの中で発生しています。瞑想中にそれが起きるので、目を瞑ったままなのですが、まぶたの内側は眩しいを通り越して、まるで、太陽の真っただ中に投げ入れられたような物凄い光を感じます」

 ここまでの光体験はうらやましいかぎりだが、『トマス福音書』の作者も似たような強烈な光体験をしているにちがいない。いや、もちろん、イエス語録なので、イエスが体験し、トマスに向かって語ったことなのだが。文章はきわめてわかりにくいが、明快な体験を表す文章表現がまだまだ発達していなかったのか、あるいは「秘教的に」あえてわかりにくい表現法をとったのかもしれない。

 

 ひとつ気になる箇所があるので、以下に記したい。

 シモン・ペテロが彼らに言った、「マリハムは私たちのもとから去ったほうがよい。女たちは命に値しないからである」。イエスが言った、「見よ、私は彼女を(天国へ)導くであろう。私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る生ける霊になるために。なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天国に入るであろうから」。(『トマス福音書』No.114) 

 マリハムとはマグダラのマリアのこと。彼女とペテロが敵対関係にあったことは、よく知られている。復活したイエスと最初に会ったのがマリアであることを考えると、十二使徒以上のイエスの「お気に入り」であったかもしれない。そんな彼女をペトロは女性であるという理由で追い出そうとしたのである。

 しかしここのイエスは、女性差別主義者ではないが、差別を前提として語っている。女性は天国へ行くことができないので、彼女を男性にしてから、天国に送り込もうというのである。

 これに関しては、偶然かどうかわからないが、大乗仏教と似ている。『法華経』には竜女が女性のままでは成仏できないので、男性に転じて成仏したというエピソードがある。『維摩経』には本来なら女性は成仏できないが、女性のまま成仏できたというエピソードがある。『ターラー・タントラ』にも同様のエピソードを見いだせる。イェシェ・ダワ(智慧の月)という王女は徳を積んだので成仏できそうだったが、そのためには「男にならなければならない」と僧侶たちに言われる。それにたいし王女は「男か女かにこだわるなんて、無意味だわ」と一蹴する。

 初期の仏教やキリスト教は女性差別主義と言われても反論できないだろう。「コリント人への第一の手紙」に「聖徒たちのすべての教会でおこなわれているように、婦人たちは教会では黙っていなければならない。彼らは語ることが許されていない。だから、律法も命じているように、服従すべきである。もし何か学びたいことがあれば、家で自分の夫に尋ねるがよい」とあるように(書き手はパウロ)あきらかに男尊女卑的な考えを持っていた。上述のように、仏教、キリスト教ともしだいに女性差別が消えていくが、それには長い時間が必要だった。イッサ文書が偽書であることが濃厚であるのに支持されてきた理由のひとつは、女性崇拝が顕著だからだった。