ノトヴィッチとは何者だったのか    宮本神酒男 

 

 「歴史を変える古文書の発見」で世界を騒がした男。このキャッチフレーズだけであやしさが芬々(ふんぷん)と漂ってくるようだが、ノトヴィッチはけっして詐欺師タイプではなく、むしろ知的エリートであり、才能があふれる男だった。

 ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ノトヴィッチは1858年、ユダヤ教ラビの次男としてロシア領内のクリミアに生まれた。幼少の頃のことはあまりわかっていないが、1876年、セルビアとオスマン帝国の紛争の際に軍に招集されている。そして1877年から1878年のロシアとオスマン帝国の戦争にコサック隊付き兵士として参戦し、士官にまで昇級している。若くして士官になっているのだから、相当の力が認められたのだろう。

兵役に就いたあと、彼はサンクトペテルブルク大学に進み、歴史を専攻している。

 1880年代、彼は二つの戯曲「理想的な結婚」と「ガリア」を書き、舞台音楽の作曲も担当している。これらの舞台は批評家からきわめて高い評価を得た。

 そのあと彼は由緒あるサンクトペテルブルクの日刊紙に職を得て、ジャーナリストとなり、東洋駐在員となった。当時反ユダヤ主義が広がっていたため、彼はユダヤ教を捨て、ロシア正教会に転向している。ロシア人ジャーナリストとして仕事をしていくために宗教を捨てざるをえなかったのであり、「隠れユダヤ教徒」でありつづけた可能性はあるだろう。彼は当時、ロシアとフランスの関係についての本を二冊著わしている。

そしてまた1883年から1887年にかけて、今度は有名なノーヴォエ・ヴレーミャ紙の東洋の駐在員となった。ジャーナリストとして彼はバルカン半島、コーカサス、中央アジア、ペルシアなどを駆け巡っている。1887年にはインド、チベットを訪ねているが、このときにラダックのヘミス僧院でイッサ文書を得ている。このあと彼はパリに行き、このことについてフランスの新聞に書いている。そして1894年、パリで、フランス語で書かれた『イエス・キリストの知られざる生涯』が上梓された。

 しかし1895年、サンクトペテルブルクに戻った際、国教であるロシア正教会に対する破壊活動をおこなったとして逮捕されてしまう。だが証拠不十分で裁判にかけられることもなく、シベリアに追放される。シベリアにおいても彼はいくつかのフランスの媒体に記事を書き続けた。また『シベリアのフランス人 ロシア人革命家の思い出』という小説を書いている。

 1898年、彼はエジプトへ旅行し、パリに戻ってくると<La Russie>という日刊紙を発行している。それはおもに政治や経済を取り扱い、彼自身の記事を載せている。1899年、彼は名誉ある外交史協会(Societe d’Histoire Diplomatique)の会員となった。

 1903年から1906年にかけては、彼はロンドンに住んでいる。この間についての彼の活動についてはほとんどわかっていない。一説にはフランス政府のためにスパイ活動をおこなっていたということだが、詳細は不明だ。

1906年、彼とペルシアのシャー(国王)との間に、イランの道路やパイプラインの建設に関する取り決めがあったという。そして1910年、イッサ文書のロシア語版が『聖イッサの生涯』という題のもとに出版された。少なくとも1916年まで、彼はサンクトペテルブルクでさまざまな定期刊行物の編集者兼出版人をつとめた。しかしこのあと、彼の足跡はぷっつりと途絶えてしまう。

 ロシア革命(十月革命)はすぐそこに(1917年)やってこようとしていた。ロシア正教に転向してまで激動の時代を乗り切ってきたノトヴィッチも、荒波に飲み込まれてしまったのだろうか。ボリシェヴィキの刃が迫る前にフランスか英国、アメリカに脱出すべきだったのに、逃げ遅れてしまったのか……。

 このように、ノトヴィッチは謎だらけの人物である。イッサ文書が偽書であるのは間違いない。1890年代の時点では、多くの人がチベットについて無知だったので信じることもありえたが、チベットに関する情報をネットで簡単に仕入れることのできる現代においてだまされる人はいない。しかしノトヴィッチがひとりでたくらんだのか、チベット仏教やキリスト教の人々が何らかのかたちで関係しているのか、そのあたりのことはわからない。
 イッサ文書が存在したことも疑う理由がない。少なくともスワーミー・アベーダナンダ、エリザベス・カスパリ、ガスク夫人、ニコライ・リョーリフは目にしているのだから。ノトヴィッチはたまたま居合わせ、訳してもらったということなのかもしれない。そうするとラッキーだったともいえるが、ペテン師扱いされたのは不運だったということになる。上述のように、ロシアに戻ったあと、官憲によって逮捕され、シベリアに送られてしまったのだから。
 ノトヴィッチが単独でおこなった(ヘミス僧院に偽文書を作らせた)ということは考えられるだろうか。その場合バックにはロシアがいるのか、ユダヤ教がいるのか、フランスがいるのか。言い換えるなら、どの国やグループのために工作活動をおこなったのか。場合によっては二重スパイ、いや三重スパイもありえるのか。それとも金銭目的か、売名行為なのか。疑念は限りなく膨らむ。


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