ケルトのスピリチュアリティ Celtic Spirituality
編訳 宮本神酒男
(1)ホワイト・ウィッチ(白魔術の魔女)ビディ
19世紀半ば、アイルランド西部のクレア県に「賢女」と呼ばれる女がいた。ビディ・アーリーは賢女という婉曲表現の通り、ホワイト・ウィッチ(白魔術の魔女)だった。しかし地元の教会は彼女が死ぬまでその霊能力に疑いを抱いていた。
子供のときから彼女は自然界の精霊や妖精が見え、話をすることができた。彼らは彼女の遊び相手だったのである。おとなになっても、ハーブを魔術や亜魔術にどう使えばいいか、大地の人々(妖精)から教えてもらっていた。彼女は病気を治したり、治療法を推奨したり、将来を予言したりした。また死んだ子供と会いたがっている女性のために、魂を取り戻すパフォーマンスを少なくとも一回は見せた。
20世紀のはじめ、アイルランドの愛国者であり、W・B・イェーツの友人でもあった民俗学者グレゴリー女史は、ビディ・アーリーを覚えているクレア県の人々に聞き取り調査をし、彼らが見聞きしたビディのシャーマン的な力の実例を記録した。ある人の話によれば、彼女は、病気を治すパワーは死んだ兄からもらっていた。兄は病気のとき、白い棘の木の下に姿を隠し、横たわっていた。兄の死の一年後、ビディは棘の木のところへ行って泣き続けた。
「そのとき死んだ兄は彼女を自分のもとへ引き寄せた」
これはつまり、兄が彼女をあの世へ連れて行き、治癒の知識を授けたということである。近隣の人々が言うには、ビディ・アーリーは精霊の世界に7年間滞在した。この7年というのは、妖精によるアブダクションの期間としてはごく一般的である。シャーマンの見習いが、死んだ親戚や先祖によって訓練を施されるという話はけっして珍しいものではない。
あるときビディ・アーリーは、中に霧ができるまで青い瓶を振ってみた。それによって治療法を知り、未来に起こることを「見る」ことができるようになった。霧が消えて瓶が透明になったとき、彼女はそれが何の病気であるか、それをどうやって治療したらいいかを知った。そこに現れる未来のできごとを眺めればよかった。
ビディ・アーリーは、やはり大地の人々と話すことができる彼女自身の長男を経て、青い瓶を受け取った。ある日長男は、それまで続けていた妖精とのバカ騒ぎをやめた。(妖精はいつもバカ騒ぎにつきあってくれる人間の遊び仲間が必要なのだ)
妖精たちは感謝のしるしとして長男に青い瓶を授けた。彼はそれを母親のもとに持ってきた。青い瓶は彼女のパワー・オブジェクトになった。それなしでも予見したり、治療したりすることはできたのだけれども。彼女の死後、瓶はロック・キルガロンに返すよう彼女は言い残した。あちら側の世界に戻された瓶を、たくさんの人々が取り返そうとした。人の死後、パワー・オブジェクトが妖精の世界に返されるという主題の物語は、ケルトではそれほど珍しくない。
知人の記述から推測すると、ビディ・アーリーはこうした活動をするときにはトランス状態に陥っていた。彼女は夜、家の裏にある小屋へ行き、「見えない友人」すなわち守護霊というべき妖精に相談していた。家族のもとから離れた小さな暗い空間では、神経を集中することでき、恍惚の意識状態に入ることができたのだ。そこからあの世へ旅をして、「友人」と会ったのである。
ビディ・アーリーは定期的に彼女なりのシャーマニズムを実践していた。ある観察者によると、彼女は毎晩「妖精たちと散歩をしていた」。
生涯を通じてビディ・アーリーは地元の司祭や牧師と争っていた。彼らは彼女のパワーが悪魔以上なのではないかと恐れていた。一度ならず聖職者が彼女ももとを訪ね、シャーマン的活動をやめさせようと試みた。農民のあいだに彼女に対する信仰が広がるのではないかと彼らは恐れた。しかし彼女はけっしてやり方を変えようとはしなかった。彼女は教会の基準からいえばふしだらな面があった。彼女には何人もの夫がいたのである。酒もかなり飲んだが、彼女の考えではそれはいいことだった。
しかし病にかかり、死の床に臥せったときには、教区牧師を呼びにやった。彼女が没したのは1873年だった。
(トム・カウワン)