ケルトのスピリチュアリティ Celtic Spirituality
編訳 宮本神酒男
(2)ファーシーのシャーマン的幻影
8世紀のキリスト教修道士で歴史家のビード卿は、英国に僧院を建てたファーシーという名のアイルランド人貴族が見たシャーマン的幻影について記している。
ファーシーは正式な手続きをへて聖職者になったことはなかったが、小さい頃、祭司になることが運命づけられているような、神秘的な、考えに耽った、ある種のアイルランドの子供に典型的なふるまいを見せた。他の社会であれば、そのような夢見がちな、混乱した子供はシャーマンになっただろう。
シャーマンの性格面を研究しているジョーン・ハリファックスは、精神的修練に対する若者の興味を「聖なるものに惹かれる性質」と呼んだ。これによってシャーマンが産みだされるのである。特別な子供は有力候補として、シャーマンになる訓練が課されることになる。ビード卿は若い頃のファーシーが修道院の訓練を実践し、聖なる書を読むことができたと述べている。
あるときファーシーは病気になり、夕方から翌朝おんどりが時を告げるまで肉体を離れ、天使たちの導きによって高く掲げられた。彼は天界の高みから、世界の邪悪さの幻影を見た。3人の天使の導き手は彼に巨大なかがり火や、ぞっとする悪魔たち、善き精霊と悪しき精霊のすさまじい戦い、その他中世キリスト教の典型的な物語を見せた。
この旅の途上で、不潔な精霊たちがファーシーに向って「炎のなかで痛めつけた」男の体をぶつけてきた。燃え盛る人間の肉の塊は、ファーシーの肩やあごを焼き焦がした。それは彼の現実の肉体にやけどの痕を残したのである。残りの人生ではずっと、彼は魂の中で感じた炎の痛みの痕とともに生きねばならなかった。
彼は傷ついたヒーラーとしての名声を享受したが、他の文化なら、偉大なシャーマンと呼ばれただろう。あきらかに傷が天界に行き来することができる賢者としての信頼性を高めたのである。
彼が自分の肉体に戻る前に、守護神の天使たちは「死の床で罪を悔いる者たちに与える何をなすべきかというアドバイス」を彼に教えたのである。このようにファーシーは、死に際の助言における古典的なシャーマンの訓練を受け、のちにはプシュケポムポス、すなわち死にゆく人の魂をつぎの世界へ導く者の役割を担うようになった。
もうひとつの彼の古典的なシャーマン・パワーは、内なる身体の熱を高め、ひどい寒さにも耐えられる能力である。ビード卿が記すように、冬の極寒の日、薄い上衣を羽織っただけなのに、霜が降りてかちんかちんに凍ったものの上に坐り、幻影について語る彼の体からは、まるで真夏の暑熱のなかにいるかのように汗が噴き出てきた。
たとえばエスキモー・シャーマンは、シャーマンになったことを示すために、凍りつくような寒さを耐えなければならない。探検家であり民族誌学者のクヌド・ラスムッセンは病気になることもなく、また衣類を濡らすこともなく、凍った水の中で五日間を過ごしたシャーマンの事例を報告している。シャーマンは自分の体の温度をコントロールするだけでなく、自然界における水の作用からも、身を守ることができなければならなかった。