バーナード博士ことウォルター・シーグマイスターと地球空洞説 

 つぎなる地球空洞説の舞台に上がるのは心霊学者でかつ健康食品の提唱者として長く活躍したウォルター・シーグマイスターである。彼はいわばパーマーとガードナーを混ぜ合わせたような作家で、地球空洞説の本のなかでももっとも人気のある、タイトルがじつに的確な『虚ろな地球』を生み出した。この本は1964年、レイモンド・バーナードというペンネームのもと出版された。

 ウォルター・カフトン=ミンケルの『地下世界』によると、シーグマイスターは1901年、ニューヨークのロシア・ユダヤ系(宗教活動を実践していないユダヤ教徒)の家に生まれた。父は医師であり、カフトン=ミンケルによれば、年少の頃彼は異常なほどセックスや男女の違いに興味を持っていたという。とくに女性の生理に彼は魅了された。

 シーグマイスターは1924年、ニューヨークのコロンビア大学で学士号を取得した。1930年と1932年にはニューヨーク大学から修士号と博士号を取得している。オカルトへの興味をあらわにした彼の博士論文は「ルドルフ・シュタイナーの教育法の理論と実践」だった。

 カフトン=ミンケルは、シーグマイスターの写真は2枚しか見ていないと述べる。一枚はニューヨーク大学を卒業したばかりの1933年に撮られたもので、もう一枚はアメリカン・ウィークリー誌の1943年5月9日号に掲載されたものだ。写真が示すシーグマイスターは濃い黒髪とひげの持ち主で、鋭い眼光を放っている。

 カフトン=ミンケルによればシーグマイスターは1933年にフロリダに移り、「ダイエットと健康」というニュースレターを発行しはじめた。同時にGR・クレメンツという土地開発業者とともに、フロリダのイストクポガ湖近くに健康食品コロニーを建設しようとしている。クレメンツもまた健康ライターという肩書を持っていたが、カフトン=ミンケルによればいかさま不動産屋だった。

 クレメンツとシーグマイスターはパパイヤやアボカド、パイナップル、その他亜熱帯のフルーツを育てたい人々に沼沢地を売った。しかしそこは洪水が頻繁に発生し、作物を育てるのには適さない土地だった。かれらは法に訴えると脅されたため、シーグマイスターはそこを離れざるをえなくなった。

 シーグマイスターは1941年、文明からのがれてエクアドルへ渡った。彼は1940年に南米に渡ったジョン・ウィアーロという名の友人を追うかたちとなった。かれらはエクアドル東部の人里離れた地域に新しい約束された土地を開拓しようとした。

 アメリカン・ウィークリー誌の1943年5月9日号に彼の写真が掲載されたのは、このエクアドル滞在中のことだった。「エクアドルの秘密のジャングルに超人種を育てる」というセンセーショナルな記事を書いたのはJM・シェパードだった。

 記事の中で、ジャングルで2年間の準備期間を終えた、素朴な衣に身を包む体重200ポンド(約90キロ)の屈強な体格を誇る、24歳の金髪の青年ウィアロは、着るものも、調理された食べ物も、武器も薬もなくエクアドルのジャングルの中で2年間生きてきたマリアン・ウィンディッシュという24歳の娘と結婚する。

 そして記事は、新人類をつくるためにかれらを連れてきた男、ウォルター・シーグマイスターのインタビューを載せている。シェパードはシーグマイスターについてつぎのように語っている。「シーグマイスター博士は子供のような柔らかい肌の持ち主で、銀幕のスターがうらやむような抜群のスタイルをしています。もっとも尋常でないのは、その目です。見たことのない目――とてつもなく大きく、だれもが惹かれてしまう深さを持った茶色の目なのです。それでいてこの紳士の挙措動作は立派なもので、威厳に満ちているのです」

 記事はつづけて述べる。アンデス山脈の東側の斜面に、生の食材のダイエットと自然流の生き方をもとにした楽園のような社会が建設され、新人類がそこに生まれるはずである。しかし楽園にはあきらかにトラブルが発生していた。

 ウィアロはのちにスーパーベイビー誕生計画には賛成しなかったと書いている。マリアン・ウィンディッシュは実際別の男性と結婚している。しかしシェパードはウィアロの写真を使いたがった。

 ウィアロはまた、シェパードが写真を撮るとき、ローブを着た長い髪の姿で、ひげを生やしたシーグマイスターと(水面のやや下を補助具の助けを借りて)湖面を歩くなどといった奇跡を示す役を務めた。アメリカン・ウィークリー誌の早い版では、シェパードと彼のカメラマンは山の近くでマニ車を持ったチベット人マスターと会ったというウソ話を載せていた。カフトン=ミンケルによれば、これらの話はヴィンセント・ガディスが取り上げ、アメージング・ストーリーズ誌に載せた「チベットの物語」シリーズと同一のものであった。

 ウィアロは書く。「このような事実の曲解があったため、シェパードとシーグマイスターは米郵便公社の利用禁止が言い渡され、シェパードはエクアドルの移民局から追放処分を受けた。

 シーグマイスターは純粋に南米に超人種コロニーを建設しようと考えていたのではないかと、カフトン=ミンケルは考えている。彼はよりヘルシーな食事についてはなおも模索をつづけた。彼はカリフォルニアへ移動し、健康食品とペンネームのロバート・レイモンド博士を使って書いた2冊の本を売った。ウォルター・シーグマイスターの名を使えないのは、米郵便公社から使用禁止を言い渡されていたからである。これらの本のタイトルは、『摂取している食事によってあなたは毒をとっている?』『オーガニック・スーパーフードでスーパーヘルスを得よう』だった。

 シーグマイスターは文士、文学修士、博士ウリエル・アドリアーナの名で、通販の健康本を売りながら、ハワイやグアテマラ、プエルトリコなどをまわり、10年も旅をつづけた。カフトン=ミンケルによればこの時期はずっと超人種コロニーのための土地を探していた。そして1955年、彼の母親が死んださいにある程度の遺産を置いていった。シーグマイスターはブラジルに移り、南部のサンタ・カタリナ島沖合にあるサンフランシスコ・ドスル島の町ジョインヴィレ付近に広大な土地を購入した。

 生涯を通じてシーグマイスターは、自身が産み出した原稿から生活の糧を得ていた。それをコピーし、謄写版で刷り、通販を通じて自著を売った。彼は自家版の『破壊からの逃走』(1955)を書き、米郵便公社から制裁を受けていたので、レイモンド・バーナード文学士、文学修士、博士の名目で本を売った。

 本の中でシーグマイスターは来たる核戦争やブラジルの彼のコロニーがいかに安全かについて語っている。またメイータという名のプエルトリコ人サイキックについても触れている。メイータは1965年と1970年の間に核戦争が起き、2000年までには地上にだれも生き残れないと予言していた。しかし価値ある者だけが異星人によって火星に連れていかれ、そこで安全に暮らしていけると付け加えた。

 シーグマイスターはまた失われた大陸、地球内部のマスターたち、人間の女性が優勢な生き物であるという彼自身の信念について語っている。彼のコロニーでは、セックスは禁止されていた。女性は、究極的には処女誕生を通じて再生することができると考えられた。そして最終的にかれらは宇宙の兄弟たちとともに火星に移住しなければならなかった。彼はまた地下に移住することによって破壊から逃れることができるかもしれないと述べている。