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 秦の統一以降、鬼が桃を畏れるという観念は地域的な流行にとどまらず、全民族的な信仰となった。秦漢時代、桃木辟邪術の起源神話が隆盛しただけでなく、桃木巫術も一般的になった。鬼が桃を畏れるという観念は広範囲にわたって認識されていたのである。学者らは神話の中からこの習俗を合理化すると思われる根拠を探し出す必要があった。

 漢代の学者によれば、「鬼、桃を畏れる」は、古代と現実の習俗を解釈するための疑いようのない定理だった。「桃、鬼が悪(にく)むもの」「「桃、鬼が畏れるものなり」「桃とは五行の精であり、邪気を圧伏し、百鬼を制する」「桃は五木の精なり。今、桃符を作り、門の上に着け、邪気を圧する。これ仙木なり」。こういった観念はすでに人の心の奥まで入っていた。

 このほか、漢代の一部の比較的理性的な学者は、桃木と桃木から作った物の意味に新しい解釈を与えた。たとえば後漢の服虔(経学家)は、桃木が邪を制するのは「桃」と「逃」が同音だからだとした。「桃、それゆえ逃凶なり」。漢代はじめには曲折があった。彼らは「桃」と逃亡の「逃」が同音であるだけでなく、逃亡の「亡」、つまり死亡や滅亡の意味があり、それゆえ「桃は亡の言なり」としたのである。

人々は桃木の物を身につけることによって、自身が慎重で、注意深く、「喪身亡家の禍」(命を喪い、家を滅ぼすわざわい)を免れていることを示すようになった。こうした音訓による新しい解釈は、桃木の辟邪習俗を肯定したが、同時に巫術の面を弱めることになった。われわれはこまごました、さまざまな考え方を見た反面、桃木が鬼を制し、邪を避ける力を持つことを認識するようになり、それが秦代以降、民間に広く流行する信仰となったのである。


古代中国の膨大な巫術の霊物のなかで、桃木は他を寄せ付けない地位を占めてきた。桃木辟邪術は古代中国の民俗の生産に広範囲にわたる深い影響を与えてきた。しかし棄てられたもののなかに古代民俗の特色も多く含まれていた。

 この巫術には多くの表現形式があるが、本体は独立した系統で構成されていた。施術をいろんな角度から分析した結果、古代の桃木辟邪術には主に3つの形式があった。


①手に桃杖、桃弓、その他桃から作ったものを持ち、鬼怪を攻撃(揮撃、射撃)する。この巫術は象徴的な動作や姿勢を要求し、桃木の辟邪の威力を最大限発揮する。

②桃木から作られた物を安置し、あるいは佩帯し、邪なるものを圧伏する。

③桃木に関連した桃湯、桃胶、桃(虫)などを用いて邪悪を辟除する。この巫術が桃を用いた物の薬用価値を誇大に高めた。しばしば医術の偽装が図られた。