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 桃弧棘矢以外にも、巫師は桑弧桃矢を使用することが多かった。この種の霊物の組み合わせのなかで、桃木は弓ではなく、矢に使われた。

清人袁枚は書く。京師一帯で子供の夜泣きは「夜星子」という悪鬼のせいだった。巫師は桑弧桃矢で鬼怪を捉えることができると称した。

ある宦官の家では子供の夜泣きが止まないことに苦しんでいた。そして「夜星子」を捉える施術をおこなうよう巫師に依頼した。巫師は手に小型の桑弓桃矢を持ち、矢柄を数条の長さの糸でぐるぐると縛った。夜半まで待つと、窓紙に馬に乗る婦人の影が現れた。巫師は低い声で言った。

「夜星子がやってきた!」

 弓を影のほうへ向けて矢を放った。人々は矢柄の糸をたどっていくと、桃矢が射止めた「夜星子」は、この家の九十何歳かの老婦だった。のちに家人は巫師の指示に従って老婦の飲食を断った、これによって「夜星子」は餓死したという。

袁枚の描写はいくらか誇大に書かれているのだろうが、古代の民俗の角度から見れば、巫術の描写は性格だろう。当時の人は、老婦が変じて「夜星子」になり、子供に危害を加えていると信じていたのである。そしてまた、桑弧桃矢に妖怪を壊滅するだけの力があると信じていた。