第2章 2 桃の魔除け (中) 置き方、着け方 

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 桃の材料を使った辟邪物を住まいや墓に置いたり、直接身につけたりする場合に、桃木辟邪術が使われている。この種の方法は辟邪術をおこなう者が揮舞(手を上げて舞うこと)したり弓矢を射たりしなくても、桃木の邪悪を制する能力を発揮することができる。すなわち桃木でできたものをどこかに固定しておけば、その力を発揮することができる。

 古代人はつねに、門戸の上に桃木を置き、邪悪なものや祟りを防いだ。門戸を守衛する桃でできた辟邪物はおおまかに二種類ある。一つは桃梗(桃木から作った人形)。もう一つは桃枝、桃板、桃符。のちの春聯(春節の習俗。赤い紙に縁起のいい対句が書かれている)は、この二つの種類が影響しあった基礎の上に形成されたものである。

 桃梗(とうこう)は桃の木を刻んで作られた桃人(桃の人形)である。伝承によれば黄帝は大桃人を立て、悪鬼を駆逐した。この神話から、桃梗辟邪法の起源がかなり古いことがうかがわれる。おそらく春秋時代にはこの習俗は始まっていた。毎年年の終わりに辟邪桃梗が設立されるのは、辞旧迎新(古い年を送り、新しい年を迎える)の活動の一環である。

 戦国時代の外交家、蘇秦は有名なたとえ話をした。桃梗は土偶人形に対して不遜な言い方をした。土偶人形は言い返した。「おまえはもともと普通の東国の桃の木ではないか。人間はあなたを刻んで人形を作った。それからあなたを赤く塗った。しかしあなたを門戸の外に置いて邪気祓いをさせているのだ」。このように戦国時代の人間は門前に辟邪桃梗に立てるだけでなく、喜んで桃梗を赤く塗ったのである。

 この門戸に桃梗を置くことで疫病を防ぐ習俗は魏・晋の時代までつづいた。漢代の宮中、朝廷内にも毎年臘祭と大晦日には「桃人を飾り、ヨシの縄を垂らし、門に虎の画を貼る」必要があった。曹氏の魏の時期、人々は臘祭と正月一日に、桃木に人の首の画を貼った「桃神」を立てた。桃神は悪鬼を縛り上げることができると考えられ、人を死から救った。

 晋代になっても習俗は変わらず、春節になると「つねに宮中や百寺の門にヨシ、桃梗、ニワトリのいけにえが置かれ、悪気を祓った」。

 南北朝の頃になると、習俗に変化が現れた。劉氏の宋の時代になると、一部の郡や県では伝統習慣が守られたが、宮中や都城では春節に桃梗やヨシの縄をかける習俗は失われていた。

 桃梗を立てる習俗はしだいに春節の活動からなくなっていった。一般の人々が持つ桃梗の迷信がいだいに関心を持たれなくなったことと無関係ではないだろう。新年に桃梗を立てる習俗はそうはいっても相当長くつづいた。漢代以降、その呪術的な意味合いへの興味が薄れていったのである。多くの人は伝統を受け継ぎ、祝福したり、お祭り気分を楽しんだりしたものの、もともとの原始的な意味合いを理解できなくなっていた。桃梗に悪鬼を縛り上げるだけの威力があるとは信じられなくなっていた。

 曹氏の魏の頃には、桃神とは桃木の上に描かれた人の顔のことを指すようになっていた。それは時間と労力を要す彫刻作品ではなかった。桃梗の製作はしだいに粗末になり、新年になって桃梗を作ること自体に真剣でなくなり、気の抜けたものになっていった。この時代(曹氏の魏)、春節のときに桃梗を立てることが礼にかなっているかどうか論議される始末だった。もし怪異が起きたときに桃梗を立てるべきだと感じることがないなら、このような疑問は浮かばなかっただろう。怪異に対する礼の制度が行われないので、劉氏の宋の時代、春節に桃梗を立てる古い礼を取り消し、呪術意識が薄まったことによる必然的な結果と言えるだろう。



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