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 桃木で作ったもの、たとえば桃弧、桃橛(短い杭)、桃符などは、庭や居間の決まった位置に置かれた。これは昔から巫師が慣用としていたもう一つの厭勝法である。


 漢代の方士はつぎのように言う。七本の桃枝を取って矢とし、桃弓によって順次放ったあと拾い上げ、最後に桃弓と桃矢、四つの大青石を庭の四隅に埋める。これで家の中で鬼が騒ぐことも、禍に遭うこともなくなる。類似の巫術は明清代の頃になると、かなり広く行われるようになっていた。

 明代の人は「桃木を削って地面に釘づけし、家宅を鎮めた」。当時の医術家は鎮宅に用いた桃木を「桃橛(けつ)」あるいは「桃(くい)」と呼んだ。

 清人紀昀は言った、彼が十七歳の頃、河北文安県に通りかかったとき、孫氏が開いた旅店に泊まった。旅店の客房は新しかったが、奇怪なことに、屋内の三和土(たたき)の穴に大きな桃木の橛(くい)が刺さっていた。紀昀は桃橛がいやでたまらなかったので、主人に抜くよう求めた。ところが孫氏は手でさえぎりながら言った。

「これは抜くことができません。抜いたら怪異が起こるのです」。

 孫氏が言うには、旅店を開いたあと、宿泊している人はみな夜間、(オンドル)の前におどろおどろしい女の姿を見た。店主は道士に、怪を滅ぼすため法術をおこなうよう依頼した。道士は手に桃橛を持ち、呪文を唱え、桃橛を炕(オンドル)の下に打ち込んだ。すると鬼影が二度と現れることはなかった。鬼影など、荒唐無稽に思えるが、当時の人は桃橛によって妖異を鎮めることができると信じていたのである。