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 桃の辟邪物をどのように使うか、決まっているわけではない。究極的には置くか、身につけるか、ということになるだろう。あるいはいくつかの使い方を同時におこなうことになるかもしれない。施術者がやろうとしていることははっきりしているが。

 たとえば桃梗(桃木で作った人形)は、門戸や墓を守るために用いられた。その際、桃梗を身につけても、投げ込んでもよい。秦簡『日書』「詰篇」は言う、「大魅」はよく人のいる部屋まで深く入ってきて、一般的な方法で撃退するのはむつかしい。そこで桃梗を投げつけると、それは遁走する。

 「詰篇」はまた言う、人はわけもわからず不安な気持ちに苛まれることがある。そんなときは桃梗を身体中にこすってみるといい。癸の日の日没頃に、桃梗を大通りに放擲し、大きな声で「なにがし(憂慮している者の名)は憂慮を免れるぞ!」と叫ぶ。そうすると不安な気持ちはなくなる。

 この桃梗と春節のときに使う辟邪の桃梗とは違う。それは妖怪に投げつけられたり、患者の身体にすりこまれたりするときに使う。おそらく巫師がつねに携帯する巫術の武器である。いつでも投げつけられるように、巫師はこのような桃梗をかならずたくさん準備していた。

 馬王堆1号漢墓から出土したばらばらになった桃梗は、墓主が生前使用していたものである。

 唐代孫思邈の『千金方』に健忘を治す処方が書かれている。「常に五月五日、東に向く桃の枝を取り、日の出前に三寸の木人(木の人形)を作る。衣服の中にこれを入れておくと、人は忘れなくなる」。この治忘処方と「詰篇」の憂慮を除く処方は異曲同工である。それらは古代の桃木辟邪術から来ているのである。


 古代の術士は桃木から印章やそれと似た剛卯を作っていた。彼らはそれを門戸に掛け、腕につけ、精魅を駆除した。晋人張華は言う、「桃根を印とし、召鬼することができる」と。召鬼には鬼魅の召喚、役使、厭劾などの意味も含まれる。桃印、桃剛卯などはどれも古代の術士が常用していた辟邪霊物である。これと相関関係にある巫術活動は、古代の中国に相当流行していた。この類の巫術は、桃木崇拝との関係以外にも、その他の迷信的観念と関係があった。それについては「剛卯と印章」の章で詳しく論じることになる。