(2)
桃湯辟邪法のバリエーションに桃湯を用いた身体沐浴がある。古代医術書の記録には沐浴桃湯関係の医術処方が少なくない。しかし医術処方は十分に臨床実験がなされてきたとは言い難い。さらに科学的論拠に欠けている。それらが医術と言うより、桃木辟邪術の副産物と言うほうがいいだろう。
孫思邈(そんしばく)が言うには、疫病が発生するたびに毎月十五日に「東引(東方向に伸びた)の桃の枝を取って細かく折り、それを煮込んだ湯で沐浴する」なら疫病にかからずにすむ。
古医術書『如意方』は出産術を記録する。すなわち、桃樹を煮込んで濃いお湯を作り、それで妊婦は沐浴し、膝を浸すと、胎児が生まれる。『竜門方』という医術書は、同様の方法で死産の胎児を出すことができる。『産経』が言うには、桃、李(すもも)、梅の木の根を煮込んだ湯で子供をよく洗い、沐浴する。これで各種不祥の気を取り除き、子供は終生イボや疥癬に悩まない。
こういった医術処方と王莽や蕭吉(隋朝学者)の桃湯辟邪法とは一脈通じるものがある[漢朝を簒奪した王莽は漢皇帝廟堂内で桃湯を撒いた。隋皇帝楊堅に東宮を清めるよう命じられた蕭吉は桃湯辟邪法を使って邪気を祓った]。
古代には桃湯で遺体を洗浄する(擦って洗う)風習があった。三国時代の魏人、王粛は言う、春秋時代に桃葉、桃枝、桃茎を煮込んだ湯で遺体を洗うことがあった。これは三桃湯と呼ばれた。桃湯で遺体を洗うのは、秦代以降に現れた習俗だろう。秦代以前にはこのような葬送がなかった。それゆえ三桃湯を三国時代の習俗とみなしてもさしつかえないだろう。桃湯を用いて死体を洗うのは、死者にとりつく邪悪なものを駆除するためだろう。あるいは遺体が生者を害するのを防ぐ目的もあったろう。総じていえば、桃湯が持つ超自然的な力を用いて凶悪なもの、邪悪なものを駆除する巫術儀式であったといえる。
直接桃湯を飲用するのも、桃湯辟邪法の一つである。植物に超自然的な力を賦与され、それを煮込んだ汁を内服する。これは古代の巫術の霊物の運用としてはごく普通で、桃木に限ったものではない。古代民間に流行した飲桃湯習俗と医術家が唱導した桃湯内服療法は巫術的な性質を帯びている。南北朝の時期、荊楚地区では、正月一日に桃湯を飲用する習慣があった。「桃板を作り門戸に著ける」と同様、この習俗は「桃は五行の精であり、邪気を圧伏し、百鬼を制する」という巫術意識から出発している。古代医術家から見ると、春節に掛ける辟邪桃符と鎮宅用の桃木杭は、両方とも奇跡的な効能がある特殊薬材である。
唐代の孟詵(もうしん)、甑権(そうけん)らは言う、桃符の煮汁を内服すれば「中悪」(脳卒中)と「精魅邪気」(鬼神の類によって引き起こされる原因不明の発作)を治すことができると。
陳蔵器は言う、桃橛の煮汁を飲用すれば、心腹(心臓やおなか)の疼痛、鬼疰(きしゅ。多発性の潰瘍)、破血(内出血)、腹脹(腹のふくらみ)などの病気を治し、邪悪の気を辟除することができる。
明代李時珍の名著『本草綱目』には、「果」部の「桃」の条の記述や桃符、桃橛の薬用価値、また「木」部の「桃符」「桃橛」の条があるほか、これらの薬材としての効能を詳しく説明している。李時珍は孟詵、甑権、陳蔵器らの旧説を大量に引用するほか、新しい見解を補充している。たとえば鎮宅(安宅)のための桃橛(杭)は地中に打ち込んで三年のものがもっともよいとか。また鎮宅用の桃橛を煮込んだ汁は「風虫歯痛」に効く。つまり虫歯の穴に桃橛汁を注いだあと蝋をかぶせる。
医術家とおなじく、古代の道士も桃湯を飲用したり、沐浴したりすれば邪気を防ぐことができると考えた。道教経典中には「解穢湯方(げあいたんほう)」が記される。竹葉十両を取り、桃白皮(桃木の幹の表層下の若皮)四両とともに三斗の水で煮る[一両は50グラム]。桃湯が冷たくも熱くもない状態になるまで待ち、まず一両ほど飲む。余った桃湯で体を沐浴する。道士の解釈では、竹は「清素内虚」(清廉で内側が虚である)でああり、桃木は邪気を辟けることのできるものである。この両者を用いることによって、汚濁の滓(おり)と不潔な気を排除することができる。