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 漢代宮廷と各官府(長官)は一年のうちに少なくとも二度アシ縄を掛ける儀式を行わねばならなかった。一度は大晦日の蝋祭のとき、もう一つは夏の五月。前者は、アシ縄を掛け、桃梗を設置し、門戸に虎を描くといった活動の組み合わせ。目的はこれからの一年の祟りや災禍を辟除することである。後者のアシ縄掛けは、おもに夏の暑気と邪気を祓うのが目的である。

 漢代には夏至に「大火を挙げる」のが禁忌とされていた。具体的には天都では、炭を焼く、精錬するなどの大火に関する活動が夏至には禁止されていた。夏至に火を作ることを禁じたのは、暑気と邪気が助長するのを防止するという意味で、夏にアシ縄を掛けるのもおおよそ同じ目的だった。

それにしてもなぜアシ茭の縄だけが用いられて、ほかの縄は祟りや災禍の辟除に用いられないのだろうか。漢代の学者は神荼郁塁の神話を引用して説明する一方で、知恵を絞ってアシと茭の意味について考え、新しい解釈を導き出した。アシを使用するのは子孫代々まで繫栄し、宗族が永遠に没落しないことを希望するという意味である。すなわち群生するアシのように繁茂することを願う。「茭」の字には交互の意味が含まれる。茭の縄を用いるのは、陰陽二気を交互によりあわせるという意味合いである。[茭は干し草をより合わせた縄のこと]


 凶を防ぐものとしてアシ縄は漢代の人々の考え方に大きな影響を与えていた。陝西省の戸県から出土した辟邪の陶器の表面に二つの霊符が描かれていた。そこに描かれた符号と似たものは四川省長寧県の七つの洞窟の漢画像崖墓石の壁にも多数見られる。

考古学者はこの符号の形状を巻きつく縄とみなす。漢代の人は通常アシ縄によって縛鬼を表していた。霊符に描かれたアシ縄の符号は、おなじ霊符のなかの天一星の符号と同様、悪鬼を震撼させ、駆除するために描かれたのだと考えられる。