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魏晋の頃、臘祭や除夜の日、門の上に葦の縄を掛ける習俗が大流行した。魏の王粛はいった。「今、臘月、除夜に疫病を駆逐するために、ニワトリを磔〔八つ裂きにして門に掛けること〕にし、葦縄を掛け、桃枝を立てた」。これは秦代以前の年末に行われた大儺儀式に相当する。南朝劉宋に至り、葦縄と桃枝が廃止になり,アシの縄を用いて悪鬼を駆逐するのはこれで一区切りついたということである。
アシの縄を掛け、桃人形や桃符を設置することはしだいに形式化、典礼化が進んだ。というのも、アシの辟邪術(魔除け)中もっとも典型的とはみなされなかったからである。古代の巫師にとってアシはもっと重要な用途があった。巫師はアシから葦杖、葦戟、葦矛といった巫術の武器を作るのが常だった。そして随時、舞いながら鬼怪を刺し殺すのである。
秦簡『日書』「詰篇」には、アシで鬼を撃つという記述が二か所ある。
一つは、悪鬼が「上帝子下遊」(上天では天子の子、下界では放蕩三昧)を自称する。女性にまとわりつき、同居する。この種の淫鬼を滅ぼすには、まず女性に犬の屎尿の湯で湯あみをしてもらう。そしてふたたび「葦で攻撃する」。すなわち盧葦(アシ)で彼女を引っ張り、こうして「(鬼は)死んだ!」。
もう一つは、鬼はやってくるといつも命令を発する。「おまえの娘をおれにくれ」。迫力がすさまじく、だれも拒むことができない。これは上天の鬼神が人間の世界に降りてきて妻を娶ったものである。あたかも除祓する方法がないかのようである。鬼神が五度来たあと、女性は命を喪ってしまう。この種の悪鬼を治す(退治する)方法はシンプルである。「葦で撃てば、(鬼は)すなわち死ぬ」。
これらは女性の「鬼交」(鬼と交わること)を治療したもっとも古い記録である。古代の医家が言う鬼交とは、虚弱体質と性抑圧が招いた精神性疾患である。患者はつねに夢の中で鬼と同居している。一日中喜んだり、怒ったり、落ち着かない。ときにはたわごとやうわごとを口走る。「上では帝子、下では遊ぶ」「おまえの娘をおれにくれ」といった鬼語は、実際鬼と交わって怪病を患う女性の口から発せられる。女性患者が発病し、たわごとを話している頃、人々は淫鬼がすでに彼女の体に降りたことを認識する。盧葦(アシ)を使って猛烈な力で患者を叩くと、犬屎などを湯あみしてふたたび結合し、患者は回復し、目を覚まし、平成になる。そばで見ると、患者は神智を回復し、淫鬼はすでに殺されている。盧葦(アシ)などの巫術霊物はこのような神奇的な力を見せることになった。
ちょうどうまいぐあいに説明しているのが『酔虎地秦墓竹簡』及びその他『日書』注の竹簡の文のなかで「葦で撃つ」の「撃」は「系」のために借りた文字で、梱縛を意味する。これを理解すれば「葦を撃つ」は患者(鬼)を打つのでなく、患者を梱縛することであることがわかる。
上述のごとく、秦代以前、秦、漢時代、たしかに葦の縄によって鬼を縛る伝説があり、葦縄を掛けて凶気を御する風俗があった。ただしこの簡文の「撃」が「系」と解釈できるかどうかははっきりしない。「撃」の本来の意味は「撃打」「撃刺」などの「撃」であり、「系」と解釈できる余地はない。
『詰篇』にはほかに「桃杖で撃つ」という表現がある。これと「葦で撃つ」の用法は完全に一致する。また「その木でこれを撃つ」「箬(じゃく)で(鞭)撃つ」などの言い回しがあるが、「撃」はどれもひとしく「打つ」を意味している。神荼郁塁の神話が明確に指し示しているが、葦の縄で悪鬼を縛り上げ、虎に食べさせるのは、葦の縄で鬼を縛り上げるだけでは鬼を殺すことはできないということである。
しかし『詰篇』は明言している、「葦で撃つ。すなわち(鬼は)死ぬ」と。もし「撃」が「系」(しばる)と解釈できるなら、悪鬼を縛り上げるだけで殺せると言うに等しい。神話の角度から見ても、この言い方には無理がある。
後漢の頃、年の終わりの逐疫儀式が終わったあと、皇室は公卿、将軍、諸候ら高官・貴族に特製の葦戟や桃杖を下賜した。葦戟は実践的な戟そっくりに作ったものであり、桃杖も同様で、しれで鬼怪を攻撃し、邪悪を避け、身を守った。
葛洪は『抱朴子』「登渉」で言った、山に入る者は官吏が人を呼び続けるのを聞いたことがあるはずだ。これは鬼魅が怪をなしているに違いない。
駆鬼の方法の一つは以下のとおり。「葦で矛を作り、これで刺すと、吉である」。ここで言っていることからすると、葦矛と漢代の年の終わりに下賜した葦戟とは同類のものということがわかる。
葛氏はまた言う。山中の鬼魅は道行く人にいやがらせをする。方向を失わせ、迷子にさせる。鬼魅にたいし、どうしたらいいのか。
「葦杖をこれに投げつける。すると(鬼は)死ぬ」
この文と『日書』「詰篇」の鬼と交わった女性の治療の箇所を比較しながら読むと、この二つの法術の間に歴史関係があることがわかる。葛洪が言う葦矛、葦杖を刺す、投げつける法術は「詰篇」の「撃」である。これによって「詰篇」の「葦で撃つ」の「葦」が「葦の縄」でなく、「葦杖」であることが証明される。