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 盧葦(アシ)には燃えやすいという特性があるので、術士は葦煙、葦火を駆邪に用いる法術を編み出した。伝えるところによると、商湯王は侁(しん)族の人伊尹を得て、彼を重用した。伊尹の安全を保証さするために、商湯王は伊尹の家に人を派遣し、葦(かんい)をよく焼いた。アシの煙で四周の邪気をいぶして取り除いた。

 南北朝の頃、南方の人は毎年正月末日、夜、盧葦(アシ)のたいまつに火をつけ、井戸や厠(かわや)を照らす習慣があった。こうして百鬼を駆逐した。上述のように、隋代に至って、術士らはなおも「桃湯葦火」を、妖邪を祓う重要な武器としていた。


 古代の術士は桃弧の棘矢だけでなく、盧葦(アシ)でできた葦矢を用いた。それと桃弧を組み合わせることもあった。魏晋の頃の学者譙周は言った、周代大儺儀式で使用される疫鬼を撃つ箭(や)は、すなわち葦矢である。このような言い方をするとき、すでに根拠を有しているものである。


 荊棘は巫術においておもに棘矢を作るのに使われる。ほかにも棘剣、棘刀、棘錐、棘煙、棘火など特殊な巫術用具を作るのに用いられる。


 古代の術士が使用した鬼を射る矢は、棘矢、葦矢、蓬矢など数種があった。なかでもよく用いられたのが棘矢である。「棘」という字は「小さなナツメが群がりなる」植物を指す。これは現代の酸棗樹(サネブトナツメ)のことである。盞棗樹上にはまっすぐな刺(とげ)と湾曲した逆さ鈎(はり)形の刺の2種の刺がある。棘矢に使われるのは前者である。

 古代では「棘(きょく)」という字は「緊急の」という意味の「(きょく)」という字をあてることがあった。後漢の服虔はこの関連性を根拠に解説を試みる。

鬼怪に対し棘矢を使って射るとき、酸棗樹の枝の鋭利な針刺(はりとげ)を使う。というのも「棘(きょく)」と「亟(きょく)」は相通ずるので、棘矢を使うことで施術者の緊急に邪悪なものを除きたいという切羽詰まった気持ちを表しているのである。

音訓を用いて古代の礼制の起源を説明するのは、多くの経師が好んだことだった。ただ彼らの分析から得た結論は歴史的事実と符合することはなかった。

酸棗樹の枝は巫術霊物として用いられたが、これは基本的に非常に簡単な連想から生まれたものだった。人は野外で活動しているとき、棘針でケガしがちである。棘木が群生している場所は、畏れられていた。人によっては鬼怪が生まれる場所であり、だから棘刺は恐ろしいと連想した。鋭利な金属の矢を用いなくても、棘の矢で鬼を射殺すことができた。古い慣例化した巫術の影響は大きかった。慣例に従うのは楽だった。それを改変するのは容易ではなかったのである。

また古代の術士は人と鬼が相通ずると信じていたが、人と鬼の区別ができることも信じていた。人と鬼の区別という観点から言えば、人類に対してもっとも殺傷能力があるのは武器だが、鬼怪に対して効果があるかははっきりせず、鬼怪を駆逐するには特殊な工具と手段が必要だった。