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 古代医術家は疾病治療に桑根、桑枝を用いた。こうした類の医術処方は実際伝統的な桑木辟邪術の変種だった。南朝劉敬叔は小説のなかで桑木の神的パワーについて描写している。呉の永康県のある人は自ら山里で会話のできる大亀を捕えて呉王孫権に献上することに決めた。彼は大亀を捕え、船に載せて都の建業へと向かった。途中、停泊しているとき船は一本の大桑樹につなげていた。深夜、彼(捕亀者)は桑樹と大亀が話をしているのが聞こえた。

桑樹「元緒(大亀の名)よ、お前はなぜここに来たのか」
大亀「おれ、捕えられたんだ。ぐつぐつと煮られる運命にあるようだな。だけど南山の柴をすべて切り尽くして煮ても、おれが煮つまることはないよ」
桑樹「聞いた話だが、孫権の謀臣諸葛恪(しょかつかく)は博学で多識という。もしこのかたがわれら桑樹を使ってあんたに対処すると言われたら、お前、どうするつもりだ」

 そのことを聞いた大亀はにわかに悲嘆に暮れた。

大亀「子明(桑樹の名)よ、もう何も言うな。大きな禍がそこまで来ていることはわかっておる」

 孫権は大亀を手にいれると、それを煮込ませた。長時間膨大な柴を費やして煮込んだが、亀は死ななかった。ついに孫権は諸葛恪の建議を採用し、老桑を柴として用いると、すぐに大亀は煮込まれて死んでしまった。この故事には「桑には信じがたいほどの霊異がある」という考えが前提としてある。これが古代の医術家に大きな影響を与えたのは間違いない。晋代以前、道士の間で「どんな仙薬も、煎じて飲む桑にはかなわない」という秘訣が受け継がれていた。

 『千金方』巻九に言う、正月一日早朝、東に伸びる桑根を探し出し、七寸の長さに削る。指を使って細かい筋にして、丹砂を塗る。それを門戸に掛けるか、身につける。疫病の気や傷寒熱病を辟邪することができる。

 ほかにも一部の古医術書によると、桑樹の東南の根の下の土を取り、それに水を加えて泥餅を作る。それを患者の腫れの痛みがある箇所にあてる。そのあと艾(もぐさ)とお灸を使って毒性の腫を治療する。

 また東引(東に伸びる)の桑樹を焼いて灰を作り、それを水に入れ、赤小豆とともに煮る。おなかが減ったと感じたら、腹がいっぱいになるまで小豆を食べる。それによって体や顔の浮腫を治すことができる。

 最後の二例は、ある程度医学的な論拠があるといえるだろう。しかし医術家が強調する東引桑枝や東引桑根の下の土は、あきらかに巫術の影響を受けている。古代の神話で桑樹を東方神木とし、術士は東に伸びる桑枝や桑根を特別に重視する。この点に関して言えば、東引桃枝が奇跡的な効能を持つとする迷信的観念と酷似していると言えるだろう。