第2章 6 チガヤの呪術 

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 白茅とは一般的に言うチガヤのことだ。南北朝以前、この種のありふれた野草は、方士が鬼を駆除するさいの重要な道具だった。

 白茅が巫術の霊物となったことと古代祭祀制度とは密接な関係がある。白茅の根は長く、かつ柔らかく、清らかで白い。秦代以前、それは食べ物や礼品を包むのに用いられた。『詩経』「野有死麕」には「野に死んだ麕(ノロ)あり、白茅でこれを包む」とある。白茅は真っ白で、清らかであるがゆえ、人々は神霊を祀るとき、つねにこれを用いたのである。

 秦代以前の祭礼において、白茅の使い方は二種類あった。一つは、白茅を五寸ずつ切り刻み、ひとまとめにして、供え物を置く敷物にした。当時はこの敷物を「苴(しょ)」(敷き草)あるいは「藉(せき)」(敷物)と呼んだ。もう一つは、手を加えていない白茅を束ねて「苞茅」(つと)を作った。これはチガヤの束であり、「縮酒」を作るのに用いられる。いわゆる縮酒とは、苞茅(つと)に酒を垂らすことを言う。すなわち濁酒を濾過して清酒を作るのである。それは神霊が享受する神酒の祭神儀式だ。

 周の王室が重要な祭典で用いる苞茅(つと)は、江淮(長江と淮河)の間に生えた香気を発する菁茅から作ったものである。しかし菁茅は中原では入手困難なので、王室が使用する菁茅は南方の国々が献上したものが多かった。そのため祭礼のなかで用いる菁茅の大部分は白茅から作られたものだった。

 東周の時期、王室の権威はいっきに落ち、元来は王室に菁茅を貢納するはずだった楚国が義務を履行しなくなった。王室貴族は祭神の縮酒のために白茅を用いざるを得なかった。

 『周易』「大過」には「藉に白茅を用いる。咎なし」という爻(こう)がある。『周易』「系辞」には「茅、軽いけれども重くなるものなり」と述べている。白茅は普通の草だが、供え物の敷物となり、縮酒に使われるなど重責を担っている。

 人はつねに白茅を用いて神霊を祀り、美酒と料理を献じる。つねに白茅を通じて神霊と交流する。長い年月の間、神霊と白茅の間には一定の関係が築かれてきた。神霊は白茅を見るだけで美酒とおいしい料理を献じ祀ることを想起するのである。それは神霊を誘い込み、人間世界に降臨させる。白茅はつねに神霊と接触しているので、神の霊性と威力を身につけるようになる。神秘的な意識がこうして発展し、白茅は霊化し、神を通じ、神を招くものとなり、辟邪の武器となりうる。



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