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蘭草を身につけ、蘭湯で沐浴するのは、はじめは日常生活の一部にすぎなかった。身を香らせ、美容と清潔さを求めただけで、巫術的な意味あいはなかった。のちに蘭湯は邪祟を洗い流すことができるとか、蘭草は不吉なことを避けることができるとかいった俗信が出現した。蘭湯の沐浴による斎戒にはじまり、連想が連想を生んで、習俗が作られていったのである。
秦代以前の貴族は重要な祭神儀式を挙行するとき、先だって斎戒をしなければならなかった。斎戒には飲酒をしないこと、葷菜(ニラ、ニンニク、ネギなど刺激が強い食べ物)を食べないこと、沐浴・衣替え、部屋にひとり籠ること、意識を集中することなどが含まれる。斎戒は自浄自律の儀式である。その目的は神霊を侮辱することを免れ、神霊の喜びを乞うことである。これにより斎戒は沐浴と違いものになり、斎戒をする者は、当時もっとも好まれた沐浴方式、すなわち蘭湯沐浴をおこなったのである。
戦国時代、雲神[雲中君]を祭祀する楚国の巫女は蘭湯で沐浴したあと、美しく絢爛なさまで現れる。
「芳しい蘭湯で沐浴したあと、五彩の衣をまとい、やまなしの若い花をつけた霊[巫女のこと]は、身をねじらせながら舞うが、神霊は身から離れない。その身から何という爛々たる神々しい光が放たれることよ」
神を祭るには斎戒をする必要があり、斎戒には沐浴が必須で、沐浴には蘭湯が用いられる。ここにおいて蘭湯と蘭草は、神霊の発生と関係がある、[蘭草は霊物であり、儀式をおこなうことで神霊が生まれる]
神霊に仕える人は、祭神活動に関するすべてのものが神秘的な意味を持っていることを認識している。もしある人が神を祭ったあと願いがかなったなら、蘭湯で沐浴したことを思い出し、祭祀の効果があったのは、蘭湯のおかげと考えるだろう。白茅は白く清潔なので、祭祀に用いられる。祭祀に用いられると、神を招き、邪を駆逐する霊物とみなされる。蘭草が霊的なものとみなされるようになった過程とよく似ている。異なる点があるとすれば、蘭草にほかにすぐれた点があることである。
『周礼』に女巫という官職名が載っている。「祓除衅浴」(ふつじょきんよく)などの巫術活動の挙行を命じることもある。「衅浴とは、香りでいぶしたり、草薬で沐浴したりすることである。そのなかには蘭湯沐浴法術も含まれる。蘭湯沐浴が辟邪法術として成立するには、専門の女巫が組織立てて沐浴を実施しなければならない。
春秋時代、斉桓公は「天下の才」管仲への敬意を示すために、「三衅(薫)三浴」の儀式でもって接待することに決めた。この「浴」は普通の沐浴とは異なっていた。管仲を何度もいぶらせ、何度も沐浴させた。というのも彼は身に灰垢が特に多く、臭気を発していたので、この才能ある人間に危害を加えかねないすべての汚濊、邪悪をきれいさっぱり洗い流し、絶対的な安全を保障した。当時の巫術の様子を見ると、管仲が(おこなうことを)受け入れた特殊な沐浴とは、蘭湯の浴だった。
戦国時代に流行した笑い話がある。燕の人李季はよく遠くに遊びに行くことがあった。李の妻はこの機に乗じてある貴族の若だんなと私通した。ある日、李季が突然家に戻ると、部屋の中で妻と若だんなはイチャイチャして楽しんでいるところで、下僕の報告を聞いたときはどうしたらいいかわからなかった。妻が老いた下女に身を寄せていると、いい考えがひらめいた。若だんなを裸にし、髪をぼさぼさにしたあと、門から外に走らせた。李季は裸の男がいきなり飛び出してきたので、驚いてたずねた。「いったい誰なんだ?」
あらかじめ妻と結託していた家人たちはみな、口をそろえて「門から出ていった人などおりませぬ」「李季さまの心の中の邪鬼でしょう。白日に鬼を見られたのです」などと言う。
李季は話を真に受け、妻に彼のために駆邪をするよう頼んだ。李の妻はどうやって駆邪しただろうか。一説には、李季に「五牲の矢(屎)」を浴びさせたという。また一説には、蘭湯を浴びさせたという。このどちらにせよ、当時の風俗と合致している。蘭湯と五牲の矢は、清らかな香りがするものと、臭くて汚いものとの違いがあるが、戦国時代の人にとって馴染み深い巫術霊物という点ではおなじである。
唐代に至っても女巫は蘭湯沐浴法術を重視していた。唐人薛漁思(せつぎょし)は『河東記』に述べる。士人韋浦(いほ)は赴任先へ行く途中、まちがって客鬼が変じた男子を下僕にしてしまった。ふたりは潼関(どうかん)に至り一家で営んでいる旅店に宿泊した。下僕は門のそばで遊ぶ店主の子供の姿を見た。近づいて子供の背中をぽんと軽くたたくと、子供は意識を失い、そのまま死んでしまった。店主は子供が邪鬼の祟りによって死んだことがわかり、緊急で二娘と呼ばれる女巫のもとに人を派遣し、助けを求めた。二娘が旅店にやってくると、まず琵琶を弾いて神霊を迎え、つづけざまにくしゃみやあくびをしたかと思うと、神霊の口ぶりで語りだす。
「金天神三郎が来たぞ! 我に替わって店主が語ろう。これは客鬼のなせる祟りである。我金天神がこの名の客鬼を捉えよう」
こうして客鬼の相貌や服装を描く。そばに立って聞いていた韋浦は、自分の下僕がもともと客鬼であったことを知る。
最後に二娘が言う。「蘭湯を用いて子供を洗う。これで患いを除く」。店主が方術によって治療すると、子供はすみやかに目を覚ます。韋浦は首を回して(あちこち見て)下僕を探すが、客鬼はすでに跡形もなく消え去っていた。