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犬の邪気祓いから巫師たちは「妖怪は犬を嫌う」ということを学んだ。この原理を応用したことによって、犬の邪気祓いの呪術が生まれた。晋の張華はこれを念頭においてつぎの物語を描いた。


<晋の恵帝のとき、燕の昭王の墓前で一匹の千年斑狐が、司空張華の才覚が衆を抜きん出ていることを知り、若い書生に化けて訪ねることにした。張華はその書生の弁舌が立つことただならないのを見て、その正体に疑問を抱き、ひそかに人をやって調べさせた。しばらくして、博学で知られた雷煥が張華に対し提言した。
「もし彼が妖怪ではないかと疑うのなら、猟犬で試してみてはどうか」
 張華は人に猟犬をひいてこさせ、書生にかみつかせた。しかし書生は犬を恐れることは微塵もなかった。張華はそのさまを見て言った。
「聞くところによると、妖怪は犬を嫌うというが、犬が識別できるのは数百歳の妖怪までだという。千年の老妖怪がその姿を現すためには、千年の枯れ木を燃やして照らさなければならない」
 張華は人をやって燕の昭王の墓前の千年の木を燃やし、その炎で照らすと、書生は原形の斑狐の姿を現した。> (『捜神記』巻十八)


猟犬の妖怪に対する力には制限があるが、その前提として「妖怪は犬を嫌う」がある。それが巷間に流布していたからこそ、「千才以下の妖怪は犬を恐がる」という設定が成り立つのである。

「妖怪は犬を嫌う」という観念は後世の小説にも反映されている。明代の陸燦はこういうことを書いている。


<呉の富某は死んで一年後、霊魂となって家に戻り、子どもの料理や家事を手伝った。毎日朝から晩まで苦労を惜しまなかった。しかし霊魂は犬を恐れるもの。毎晩墓に戻るときは、家の下男が送っていった。ある晩たまたま送る人がなく、霊魂だけで墓に戻ろうとしていたとき、悪い犬の群れが襲い掛かってきた。富某の霊魂は叫んで樹上に飛び上がり、その瞬間跡形もなく消えてしまった。それ以来霊魂は戻ってこなくなった。>(『庚巳編』巻三)