第2章 11 血祭り(衅礼)
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衅(キン)礼の衅の字は、古書では「釁」と書かれる。これは血を塗りつける儀礼のことをいう。
原始社会の人間はすでに血液と生命の密接な関係について認識していた。その頃人は生命を霊魂の活動ととらえていた。血液は生命の源泉であり、血液の流失が生命の喪失をもたらすことは事実として認識していた。彼らから見ると、霊魂と密接な関係にある血液はさまざまな神秘的な力を持った霊異なるものだった。中国の古代民族や世界中の多くの民族は血液の禁忌(タブー)を持っていた。彼らは血液が人類に災難をもたらすのではないかと恐れ、血液と接触しないようにこころがけた。この禁忌は血液崇拝を反映していた。血液に対する畏敬の念と血液の生み出す神秘的な観念から、衅儀礼が含む各種の血の呪術が形成されたのである。
衅礼が含む意味と性質に関しては古代の学者はさまざまな意見を持っていた。ある意見によれば、衅礼とは、血祭り儀式、あるいは祭祀行為を伴う血塗り儀式のことである。許慎いわく、「釁とは血祭りなり。(字形は)祭竈(かまど)なり」と。高誘いわく、「殺牲祭、血塗りをもって釁という」と。衅の鐘に対する趙岐の解釈は「あたらしく鐘を鋳造する。生贄を殺し、その血を隙に塗る。これを祭ることを衅という」となっている。応劭、顔師古、司馬貞はこの説に賛成している。
別の意見によれば、衅鐘、衅鼓は祭祀と無関係である。純粋に血のパワーを器物に伝えるのが呪術である。『司馬法』に言う、「太鼓をたたく者にとっての血は、神の器である」。鄭玄いわく、「衅、生贄を殺し、その血を用いる、これは神なり」。臣瓚はさらに明確にいう。「『礼記』や『大戴礼』から考えるに衅廟の礼は、みな祭亊と無関係なり」。晋人の杜預、清人孫詒らは、衅礼と祭祀は異なる儀式に属すると認識している。