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 上述の二つの説のうち前者は後世への影響が大きい。現代人はよく「血で旗を祭る」「血で太鼓を祭る」と口にするが、これはその語源である。[日本語の「血祭りにあげる」の語源。出陣の際に生き物を殺して神霊にささげ、神霊の保護を受けること]

 しかし衅礼(きんれい)の起源から見ると、後者のほうが正確で信じられる。巫術と祭祀は関連があるけれど、結局、違いは大きい。

祭祀が神霊に気に入られようとすることに重きを置くのに対し、巫術は神秘的手段を用いて対象をコントロールしようとする。衅礼と祭祀が混じりあうのは新しい現象である。それは衅礼のもともとの意味を表していない。

臣瓉(しんさん)が言うように、周代の衅廟礼はただ血を塗るだけで、祭祀と結合することはなかった。釁(きん)という字は隙を縫うという意味の舋(きん)や裂けた文様の意味の璺(もん)と読みが同じであるか、意味が似ていた。塗血術は衅(きん)と呼ばれた。すなわち器物の隙間に(動物の)血液を塗る習慣からその名を得ているのであり、もともと祭祀とは無関係である。

応劭は「衅(きん)と呼んで舋(きん)となす」と述べて衅礼の本質に近づいている。周代にはたしかに神霊に向かって薦血の儀というのがあり、こういった血祭は衅と呼ばれた。ただしこれは衅鐘衅鼓の見解の側から借用した衅の名称である。それと典型的な衅礼、すなわち塗血儀式は同一である。

清人焦循は大量の文献を根拠に結論を出している、「すなわち血祭の衅と衅器の衅は、二つのことである」と。たしかにもっともである。施術者は血液を霊物とみなす。血を塗られたものは霊気を獲得したとみなす。塗った廟は壊さない。塗った太鼓は破壊しない。塗った旗は折らない。塗った鐘の音は清らかである。塗った亀の亀卜の霊験はあらたかである。しかしすべての重要な道具は血を塗られることによって「神聖なもの」とはならない。

血祭とは神霊に向かって食べ物を提供し、神霊の喜びを得ることである。衅礼とは物体に血液を塗布することによって神力を注ぎ込むことである。両者ははっきりと区別される。


典型的な衅礼は秦代以前から一般的に存在した。秦代以前の衅礼は豚血、羊血、鶏血を使用したが、特別な状況下では牛血や俘虜の血が用いられた。生贄の血を使用するにあたっては、さまざまな具体的な規定があった。たとえば衅宗廟の正室では羊血が用いられ、門戸の夾室(きょうしつ)では鶏血が用いられ、衅礼器にはオスの豚の血が用いられた。