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<衅社稷>

 新しく建設した社稷壇には塗血が必要とされる。特殊な状況下では「社主」やその他の神霊の位牌に血を塗る。

『周礼』「小子」に「常に社稷にて(衈)する」とあるが、社稷壇が落成したときに小子の主持で衅礼をおこなうことを指している。

 『周礼』「大司馬」に言う、「大師よ、(王が出征するさいに)師や執事は戦いに臨み()、社主や軍器(兵器)に衅の儀礼をおこなう」。すなわち大規模な出征の前、宗廟と社壇内の祖先の位牌と社神の位牌に動物の血を塗る。そのあと祝官が神を保護し、軍に従って参戦する。

 『左伝』「定公四年」の「君、軍を率いて出征する際、社神に祷告して除災し、殺牲して得た血を鼓に塗り込む儀礼(衅礼)をおこなう。太祝は社主と廟主を持ち、随行する」は「周礼」の記載と一致する。「祓社」とは、衅(きん)礼をおこなって社主を祓うということである。動物の血を社主に塗るのは、社神の威力を増すこと、社神の邪崇を祓除することの二重の意味を含んでいる。

社神は国家を代表する。すなわち「祓社」によって国家の邪崇を祓除する。その直接的な目的は、戦争の勝利を保証することである。

 『春秋』「僖公十九年」の記載によると、子(そうし)は盟会に参加するため(しゅ)国にやってきたが、邾の人によって拘束され、衅社に用いられた。『公羊伝』『穀梁伝』の解釈によると、この衅礼は「衈社でもってその鼻を叩く」ということである。一般的に、戦争捕虜は衅礼によって殺される。子は国君である。鼻を打って血を得るというのは、彼が特別待遇を受けていたということ。