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 血液によって邪崇を駆除し、妖術を破解するのは、衅礼から派生した法術である。すでに述べたように鶏血や犬血を用いて辟邪する法術は、衅礼の一つといっても差し支えない。たんなる血液ではなく、その血液が鶏や犬であるのは、それらが霊物だからである。鶏血や犬血は一般的な家畜の血液と比べ、霊異があると考えられている。

 このほか、豚の血によって妖怪を滅ぼす話がよく見られる。『太平広記』巻七十三「鄭君」に言う、唐代貞元末年、信州に塩鉄を管理する官員の鄭某という男がいた。一方背中を鞭打たれるのも、首を斬られるのも恐れない、何をしでかすかわからない「莽夫(ぼうふ)」[荒くれ者]が騒ぎを起こしていた。鄭某はこの莽夫を捕えさせ、「まず足を折って死ぬまで鞭打て。豕(ぶた)の血を浴びせ、獄中に埋めよ」と命じた。この「沃以豕血」(ブタの血を浴びせ)は、破解妖術の一種である。

 宗人のエッセイの中で、宗神宗がある日後苑に出ると、オスブタの群れを放牧する人がいたと書いている[訳者:今もイ族の地域ではブタの放牧を見ることができる]。なぜブタの放牧をしているのかと問うと、牧人は太祖がはじめたことなのでそれに従っているだけで、何のためにそうしているかわからない、と答えた。神宗は禁中(宮廷内)でブタを飼うことにたいした意味はないと思い、この慣習を排除するよう命じた。

 それから一か月余りのち、突然妖人が宮中に入ってきた。大慶殿の屋上に登り、宮中は大音藍に陥った。禁中の衛士が妖人を捕えたが、破解妖術をおこなうためにはブタの血液が必要だった。しかし禁中ではブタを飼うことが禁止されていて、すぐに豚血を用意することはできなかった。このときはじめて神宗は太祖がなぜ苑中にブタを飼うよう命じたか、心の底から理解できた。この話を信じるかどうかは問題ではない。実際にあったとしても不思議ではない。犠牲の血を妖人に浴びせるのは、破解法術であり、これは長期にわたって流行した信仰だった。


 赤い色は術士が好きな色である。この嗜好は太鼓の昔の衅礼に始まっている。血液崇拝は赤色から血液を連想したことからきていて、それが神秘化されたものである。巫師およびその信徒は、日食から救うため社主を赤い糸でぐるぐる巻きにし、五月五日に邪崇を辟除するため赤い糸を腕につけ、九月九日に災禍を除くため茱萸(しゅゆ)がいっぱい入った深紅の袋を持ち、疫病を防ぐため深紅の帽子をかぶった。また喜んで朱砂で霊符を書いた。それらは秦代以前の塗血法術と密接な関係があった。