第2章 14 名前厭勝呪法
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古代民族、とくに原始民族は名前と霊魂には直接的な関係があると信じていた。たとえば「インディアンは自分の名前を単純にレッテルとはみなさなかった。むしろ自分ひとりの一部分とみなしていた。自分の目や歯と似たものだった。彼の名前を悪意を持って使用すると、彼は苦しみを味わった。身体上に傷を受けるとそれから逃れることはできなかった。この信仰は大西洋から太平洋までのあいだの各部族に見られた。古代中国においても名前に対する信仰は盛んだった。人名、物名、鬼名、どれも自分の霊魂の一部とみなされた。この観念のなかから名前の厭勝法が派生した。*厭勝とは呪詛や祈祷によって相手を制圧すること。
人名に関する厭勝法にはおおよそ二種類がある。一つは、名前を用いて厄運を改変すること、あるいは災難を予防すること。もう一つは名前を用いて仇敵あるいは呪術を行う者に対して歯向かう人を攻撃すること。
商代の礼俗を考えるに、死者の魂を呼ぶためにはその名を呼ぶ必要があった。『礼記』「喪服小記」には「復するに、書銘においては天子より士まで、その辞は一つなり」とあり、鄭玄の解釈では「殷礼」に属するという。この「復」は魂を招くことを指す。「其の辞は一なり」とは、死者が天子であろうと士人であろうと、みな同じく名を称す必要があるということ。古代の「字」(あざな)とは対称的に「名」は乳名を表わす。「字」は成年になってからつけられるもので、それゆえ人は名を認識することで離れた霊魂をさらに近づける。
招魂のときにはただ名を呼び、遊離した魂の注意を引き、呼び戻す。つまり忌み名に厳しかった漢代、祝官は国君のために祝祷するときに名を呼ばねばならなかった。『淮南子』「氾諭訓」にいう、「祝はすなわち名君である。勢いがないはずがない」と。人名と霊魂の間に密接な関係があると信じられていたので、名を決めることは、ことさら重要視されていた。
古代文献において、去疾、棄疾、辟兵、却敵、延年、益寿、千秋、万歳などの人名はめずらしくなかった。当時はこういった名を用いたのである。祝願を表わす以外にも、さらに功利的に邪悪や祟りを制圧するために名づけられた。時代が早ければ早いほど、その傾向は強かった。
古代の算命先生はつねに生辰八字と五行の対応関係から一人の運命を予測した。もしだれかの五行のうちの一行が欠けていることが発見されたら、救済措置を講じる必要があった。欠けている行を名とした。つまり金が欠けているなら、金扁の字を名とした。魯迅の小説『故郷』の主人公閏土は、五行のうち土が欠けていたため、これを名に用いたのである。