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 古代巫術の呪文のなかの力を示す言葉にはさまざまな種類がある。その一つは、悪鬼悪虫の名を列挙した言葉、あるいはその親族の名を掲示した言葉である。

 馬王堆漢墓から出土した『雑療方』には蛇・虫・(せき。毒虫)の傷の治療の仕方が記されている。その呪文は以下の通り。


某、女(汝)兄弟五六七人、某索智(知)其名、而処水者為魣[魚偏に支だが、魣と同じ。獰猛な小魚]、而処土者為蚑[水蛭]、棲木者為蜂、〇斯[の中に虫。詳細不明]、(飛)而之南者為蜮[よく。水中に棲む害虫]。


 もし患者が健康を回復しなかったら、あなたはどうするだろうか。この呪文は教訓的に蛇虫の口調で言う。大意はというと、私はあなたの家族の秘密を調べたので、あなたに六人、七人の兄弟があることを知っている。それぞれの姓名と習慣も知っていると。

 馬王堆帛書『五十二病方』は「父兄は大山を産む。而して□谷下にいる」「父は蜀にいる。母は風鳥(鳳凰)を褥(しとね)とする」「父は北に在って居し、母は南に止まって居する」といった呪文を掲げ、悪鬼悪虫である父母に重点を置き、暴きだし、攻撃する。そのなかで鬼怪である父母の名字を明かさず、住所と身分を強調する。こうした示威的な呪文と列挙する鬼名による示威的な呪文は、意図するものとして、また性質において、非常に近いと言えるだろう。


 晋から唐代にかけて、巫医道士が鬼名を列挙する呪文がさかんになった。たとえば唐代、「注鬼」を駆除する呪文が流行した。


東方之注自名羊、入人体中主腹腸、神師呪注注即亡。(東方の注鬼は羊と名乗る。人体に入り、腹部に宿る。神師が注鬼を呪えば、注鬼は滅びる)

南方之注自名狗、入人体中主心口、神師呪注注即走。(南方の注鬼は狗と名乗る。人体に入り、心臓に宿る。神師が注鬼を呪えば、注鬼は亡くなる)

西方之注自名鶏、入人体中主心臍、神師呪注注即迷。(西方の注鬼は鶏と名乗る。人体に入り、へそに宿る。神師が注鬼を呪えば、注鬼はさまよう)

北方之注自名魚、入人体中主六府、神師呪注注即無。(北方の注鬼は魚と名乗る。人体に入り、六府に宿る。神師が注鬼を呪えば、注鬼は無に帰する)

中央之注自名雉、入人体中主心里、神師呪注注自死。(中央の注鬼は雉と名乗る。人体に入り、心の中に宿る。神師が注鬼を呪えば、注鬼は死ぬだろう)


 巫師は注鬼の名を自由気ままに決めているように思える。たとえば呪文ではこう述べる。東方の注鬼は医と名乗る、南方の注鬼は青と名乗る、西方の注鬼は揺と名乗る、といった具合に。さらに呪文は名字について述べる。また姓氏について述べる。

「注鬼の父は張、注鬼の母は楊、注鬼の兄は靖、注鬼の弟が強、注鬼の姉は(きょ)、注鬼の妹は姜である。汝は姓氏を知り、汝は宮商(音階)を得た。なぜ遠くへ行かないのか。どこに住みたいのか」

[宮商は<宮商角徽羽>の略。これは現代のドレミに当たる5つの音階のこと、名前と音楽を得たのだから、好きな ところへ行けばいいのに、あなた(注鬼)はなぜここに留まろうとしているのか]

 このほかにも禁蛇呪文が当時流行した。


一名蛇、二名蟾、三名腹(蝮)、居近野沢、南山腹(蝮)蛇、公青蛇、母黒蛇、公字麒麟蛇、母字接肋……。(名は蛇、あるいはヒキガエル、あるいはマムシ。近くの野の沢に、南山にいるマムシである。父は青蛇、母は黒蛇。父の字、あざなは麒麟蛇、母の字は接肋蛇)[南山は生命、陽気の象徴]

 禁〇(虫偏に頼。サソリなどの毒虫)の呪文もある。


蠕〇神祇、八節九枝、兄字大節、弟字蠍児、公字腐屋草、母字爛蒿枝。(毒虫の神々よ、八つの節、九つの脚の者たちよ。兄の字は大節、弟の字は蠍児、サソリの子。公(父)の字は腐屋草、母の字は爛蒿枝)

但自攝斂汝毒、不出去何為。(汝の毒を吸い取ろう。どこにも行く必要はない)

急急如律令!


 この二つの呪文は、「禁呪」(まじない)の対象やその兄弟および父母の名を列挙することを厭わなかった。漢代の『雑療方』に記録された禁治蛇虫の呪文の伝統をあきらかに受け継いでいる。