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 葛洪は山中の精怪、とくに動物が変成した精怪をいかに防ぐかについて重点的に述べている。

古い巫術書『白沢図』は鬼の形、鬼の名、および呼鬼名法についてすべて描き、論述している。葛洪と干宝はともに『白沢図』に言及している。干宝が言うには、呉国の諸葛恪は『白沢図』を引用している。また諸葛恪が記す精怪の名称と『白沢図』が一致することが多い。こうしたことから同書は晋代以前には流伝していたことがわかる。そして呼鬼名法術が魏晋の時代には術士が用いていたことがわかる。

 秦簡『日書』「詰篇」を読むと、非常に多くの鬼怪の名称が記されているが、鬼名を直接呼んだものはない。すなわち駆鬼の意味合いはなかったのである。言い換えれば『白沢図』の呼名法術は秦代以降の発明であることがわかる。


 『白沢図』の鬼名、鬼形と呼名駆鬼法術の描写は『山海経』と趣が似ている。以下できるだけ原文を尊重して並べてみよう。


「厠(かわや)の精」。名を「倚」という。青い衣を着て、白い杖を持つ、その名を知り、これを呼べば、駆除することができる。さもないとそれに殺されるかもしれない。

「火の精」。名を「必方」という。形は独脚鳥と似る。その名を呼べば飛び去る。

「玉の精」。名を「岱委(たいい)」という。そのさまは青い衣を着た美女のごとき。それを発見したとき、桃木の匕首でそれを刺し、同時に名を呼ぶと、捕まえることができる。

「金の精」。名を「倉〇(口偏に唐)」という。ブタに似る。家々にいて、妻を娶るのが難しくなる。その名を呼べば走り去る。

「旧門の精」。名を「野状」という。侏儒のように見える。人に見つかると、つねに身を低くして叩拝するようになる。その名を呼ぶと飲食に困らなくなる。

「故沢の精」。名を「冕(めん)」という。五色の花柄の双頭の蛇のように見える。その名を呼ぶと(蛇が)金銀を取ってくる。

「荒丘廃墓の精」。名を「無」という。老いた小役人のように見える。青い衣を着て、手に木製の杵を持ち、喜んで米を搗く。名を呼ぶと穀物がよく育つ。

「故道野径の精」。名を「忌(き)」という。野人のような外見で、走ったり歌ったりする。その名を呼ぶと、人は道に迷うことがない。

「旧車の精」。名を「寧野」という。臥車(古代のキャンピングカー)のように見える。人に見つかると、人の目を攻撃してくる。名を呼べば、何事も起こらない。

「路上遊走の精怪」。名を「作器」という。大男で、人をよく惑わすが、その名を呼ぶと逃げていく。

「旧臼の精」。名を「意」という。ブタに似ている。呼ぶとすぐに立ち去る。

「旧井旧淵の精」。名を「観」という。美女で、簫を吹くのが好き。その名を呼ぶと離れていく。

「河水の果ての金を産出する場所の精」。名を「侯伯」という。人のように見えるが、背は五尺しかなく、五色の衣を着ている。名を呼ぶと、去る。

「旧台旧屋の精」。名を「両貴」という。外見は赤い犬に似ている。その名を呼ぶと人の目を光らせる。

「山あいの渓流の精」。名を「喜」という。外見は黒い子供に似る。その名を呼ぶとそれ(子供)に食べ物を持ってこさせることができる。

「古戦場の精怪」。名を「賓満」という。首だけで体がない。両目が赤い。人を見るとくるくる回る。その名を呼ぶと去る。

「旧河水の巨石の精」。名を「慶忌」という。人に見えるが、車に乗って空を飛ぶ。一日千里飛ぶことができる。その名を呼ぶと、人が水に潜って魚を捕ることができるようになる。

「旧市場の精」。その名を「問」という。見た目は囲いに似て、手足がない。その名を呼ぶと離れていく。

「旧居室の精」。名を「孫竜」という。外見は子供で、背は一尺四寸ほど。黒い衣を着て、赤い幅の広い帽子をかぶる。腰に剣をさし、手に戟を持つ。その名を呼ぶと離れていく。

「旧牧場、廃池の精」。名を「(こん)」という。外見は牛に似るが、頭がない。人を追いかけるのが好き。その名を呼ぶと離れていく。

夜、お堂の下を走り回っている子供がいる。これは「悪しき精」。名を「溝」という。名を呼ぶと災禍はなくなる。

「百歳老狼の精」。名を「知女」という。いつも美女に変成し、路傍に坐っている。もし好みの男を見かけたら、自分には父母も兄弟もいないので、自分をもらって世話をしてくださいと頼み込む。男が気を許し、女を娶ると、一年後には食べられてしまう。直に「知女!」と呼べば、狼精はさっさと逃げていく。

「旧糞坑の精」。名を「卑」という。外見は美女で、いつも鏡を持って自らを照らす(見る)。その名を呼ぶと、恥ずかしがって耐えられなくなり、身をひるがえして逃げていく。


 以上の呼名駆鬼術の奇妙な話のなかでも、一部は論理的に解釈できるものもある。この書に羅列されるのは大部分が荒廃した場所や古い器物の精怪である。古いものに対する人間の恐怖心と関係あるのだろう。

 荒廃した場所には陰鬱な空気が充満し、古いものにはボロボロの、朽ち果てた、汚れた雰囲気が醸し出され、大量の虫や蚊が生まれ出てくる。人は簡単に精怪を生み出すことができる。

 『白沢図』に描かれた精怪はどれも生活で経験しているものである。たとえば古戦場の精怪は、頭はあるが、体はない。両目は赤い。これは戦死者の姿である。牧場の精は、首はないが牛の体はある。おそらく屠殺された牛の姿から生まれたのだろう。故室の精は子供の姿をしているが、子供はつねに室内で活動するものである。旧車の精はやはり車の形をしているが、てきぱきしているのはもとの車を模倣しているのだろう。