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『白沢図』の論法でいえば、どんな精怪も、呼名法術を用いれば制圧することができる。ただ精怪の名はしっかりと記さなければならない。その形状や特性を熟知し、危機的状況になれば、大声を出して呼び、災厄を回避しなければならない。
この種の法術は苦もなくできそうに見えるが、実際はそんなに簡単ではない。それにそれぞれの精怪の名が複雑で覚えるのがむつかしく、辛抱強くない人はしりごみするかもしれない。とりわけ初心者が実習するとき、さまざまな精怪のサンプルを提供するのは困難をきわめるだろう。
『白沢図』にはさまざまな精怪の画が描かれているが、一部は「山海図」式の画である。ということは、巫術実践者に対する指南書の意味があったのだろうか。『白沢図』は本来鬼怪を制御する方法を教える意図があるはず。しかし当初の目論見とは異なり、鬼の系譜を複雑にし、最終的には現実に適用することができなくなってしまった。
古代の術士、とくに道士に間では神名を呼んで神力を借りて祭南を取り除く方法が流行っていた。名前の威力を用いる迷信的法術と呼名駆鬼法術とは、相通ずるものがある。
道士らは言う。「天公の字(あざな)は陽君、日の字は長生、月の字は子光、北斗の字は長史、雷公の字は、西王母の字は文殊、大歳の字は微明、大将軍の字は元荘」。
これらの名を熟知しなければならない。危機に面してこの名を呼べば、男は武器によって死ぬ(殺される)ことはなく、女は難産によって命を落とすこともない。
またこうも言う。
「水に入り引陰を呼ぶ。山に入り孟宇を呼ぶ。兵(武器)に入り九光を呼ぶ。遠くへ行き、天命を呼ぶ。これをみな呼べば難を免れる」。
道士が武器の神の名字を呼べば、攻撃され、負傷することはないことを神は保証する。
彼らは言う、弩(いしゆみ)の名は「遠望」、あるいは「箪張」。弓の名は「曲張」、または「子張」。矢の名は「続長」、あるいは「信往」、または「傍徨」。刀の名は「脱光」、あるいは「公詳」、あるいは「大房」。剣の名は「陰陽」。戟の名は「大将」。鑲(しょう)の名は「鉤傷」、あるいは「鉤殃」。鉾の名は「牟」、あるいは「黙唐」。楯の名は「自障」。
これらの武器はそれぞれ異なる星々に掌握され、支配されている。「戦闘が発生したとき、その名を呼べば、(兵器による)傷害は受けない。人に福をもたらし、大吉である」。
武器の神の名はなぜ陽韻を踏むのか。神名が整いすぎると、かえって信用度は下がるものだ。神名をうまく作ろうとして、下手なことがばれてしまったかのようだ。
呼名駆鬼法術は結局、簡単にできることから民間に普及していった。巫術に関する文献はつぎのような例を紹介する。
「夢の鬼名は奇伯(正しくは伯奇)である。その名を呼べば悪夢を見ない」「釜鳴[蒸気で釜が異音を発すること。民間の占い法]の鬼名は婆。その字(あざな)を呼べば、災いは起こらず、吉祥を招いた」。こういった奇抜な秘術は、清代の日用書(日常生活に関する本)にたびたび引用された。しかし清代の人たちにとって、これら小技の法術は、試しても損することはないといった程度のものにすぎなかった。もとより彼らの呼名制鬼法術を『白沢図』の時代の法術と同列に論ずることはできなかったのである。