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 『聊斎志異』中に「雷公」という一篇がある。この故事で雷神は人の糞尿によって制圧される。亳(はく)州の王従簡の母が家の中でぼんやりすごしていると、外で小雨が降り始めたと思うと、大槌を持った雷公が門を破って入ってきた。王の母はとっさに知恵を働かせて、糞桶をすぐに持ってきて、糞便を雷公に振りかけた。雷公は汚物でびっしょり濡れると、刀や斧で斬られたかのように、よろめきながら、つまずきながら家を囲む塀まで歩いていき、そこで牛のように鳴いた。しばらくするとお盆をひっくり返したかのような大雨が降り、雷公は雨できれいに洗浄されると、霹靂にはさまれて天空高く飛んでいった。

 興味深いことに、それから七十数年後、袁枚が類似した故事を収録している。『子不語』巻二十三「雷公汚れる」は同時代の人沈雨潭の話を伝えている。ある年、「淮安に雷がとどろくと、家の中にいた孤独で貧しい老婦のところに落ちた。老婦はあせってズボンを下ろして小便をし、馬桶でそれ(雷神)にかけた。すると金の鎧を着た者が屋根を伝って降りてきた。しばらくの間雷神は老婦の傍らでうずくまっていた。口はとがり、体は黒く、身長は二尺ばかりで、腰の下は黒皮の裙(スカート)で覆っていた。目をみはったまま、何もしゃべらなかった。二つの翼はきらめいていて、ぶるぶる震えていた。住民が山陽県の官吏に知らせると、官吏はすぐに道士を派遣した。道士は符を描き、醮(祭壇を設け、行う儀式)を建てた。十余石の清水でその頭を濡らした。翌日また雨が降り、それは飛び去った」。

 この故事のロケーション、人物、雷公の外見など多くの点で『聊斎志異』とは異なっている。蒲氏の旧作をそのまま収録したとは思えない。ただ人の糞尿で雷公を攻撃した点では完全に一致している。


 袁枚は他の一篇中に、糞汁をかけるという方法で白蓮教の妖術を打ち砕いたと述べている。原文は平易に書かれている。

「京山の富者、許翁は代々桑湖畔に住んでいた。新婦を娶ったが、その嫁入り道具は巨大なものだった。楊三という名の盗人は一年以上うらやましいと思っていた。

そんなおり翁が子を送るために京へ赴き、妊娠している新婦と下女二人だけが残されていると聞いた。夜、彼は屋敷に忍び込み、暗がりに潜んだ。

三更が過ぎた頃、灯光のもとに一人の姿があった。目が深くくぼみ、(みずち)のような鬚(ひげ)を生やしていた。その人は黄色い布袋を背負い、窓から這って入ってきた。楊は見つからないことを願い、息をひそめて様子をうかがった。

その人は袖からお香を取り出し、灯の火で燃やし、二人の下女のところに置いた。そして寝ている婦人のもとで呪文を唱えると、婦人はがばっと体を起こし、素っ裸でその人の前にひざまずいた。その人は袋から小刀を取り出し、婦人の腹から胎児をえぐり出すと、それを壺の中に入れ、袋を背負って出ていった。婦人の遺体は転がったままだった。

楊は驚き、その人のあとをつけていった。村の入り口にある旅籠に着くと、それを持ったまま大声で言った。「主人よ、早く来てくれ。われは妖賊を捕えたぞ」。近所の人がみな集まってきて、それが血まみれの胎児であることを知った。大衆は怒り、持っていた鉄の農具でこれを叩きまくった。しかし損傷を与えたようには見えなかった。糞まみれで何もできなかったのだ」。

 この話は、白蓮教徒が凶悪な輩であると言いたいのだろう。しかしそれ以外にも糞濊が妖術を打ち破ったことも言いたいのだ。作者は、これは虚構ではないと強調している。古代の術士は人の糞尿が妖術を打破できると信じていた。この種の巫術の観念はつねに実践的だった。