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人糞尿をぶっかける法術と比べると、その内服の法術が出現したのは早かったと考えられる。張華『博物誌』によると、交州地区[交趾刺史部。現在のベトナム北部]の少数民族俚子(りし)は毒矢を用いた。「弓の長さは数尺、矢の長さは一尺余り、銅を焼いて鏃(やじり)とし、その先に毒を塗る。当たった人はすなわち死ぬ」。矢が当たった者は、はじめ身体が膨張し、ついで肌の肉が腐乱し、あっという間に骨の塊になってしまう。俚子の間には厳格な規定があり、解毒の秘法が外部に漏れることはない。
中原人(漢族)は毒矢が当たった場合、「婦人の月水(生理)あるいは糞汁を飲む。時に瘥(治癒)することあり」。ときにまた人は言う。家畜の中の豚や犬は毒矢で射られても毒にあたることはない。なぜなら彼らは日ごろから糞を食べているので、天然の免疫力を持っているからである。[訳注:チベットの寺院に行くと、百匹以上の犬が境内に棲んでいることがある。彼らに餌が与えられることはなく、巡礼者用のトイレの下で糞尿を食べているのを見かける。豚もそうだが、人糞は彼らにとって立派な食事なのである]
晋代の伝説によれば、糞汁を飲んだあと「時に瘥(治癒)することあり」という。すなわちこの方法の効果が実証されていない時期があったということである。ただし後代の医書では、糞汁を飲むことが矢の毒を解く普遍的な神の処方であると誇大に考えられた。
隋代の医書に言う、「毒矢には三種ある。嶺南夷俚が銅を焦がして作った鏃。嶺北のいたるところで、蛇虫毒螫[蛇や木喰い虫、刺す毒虫]の汁を管に入れ、鏃(やじり)を濡らした。この二種の毒矢によって肌は傷つき、腫物ができ、ただれた。豚、犬だけは射られても弱ったとしても生きていられるが、それも糞を食っているからだった。もし人に毒矢が当たっても、糞を食べ、あるいは糞汁を飲めば、そして傷口にそれらを塗れば、たちどころに癒えた」。
こうした内容と晋代の伝説は基本的に一致する。ただしもともと「時に瘥(治癒)することあり」といった特称判断は、「即癒(たちどころにいえる)」といった全称判断の上に置かれるが、その意味は大きく異なっていた。[ここでは論理学の話をしている。特称判断とは、主語の外延の一部に論及する判断のこと。全称判断とは、主語の外延全体に論及する判断のこと]