(2)

古代巫医(シャーマン的な医者)は経血を「月水」「天癸」「紅鉛」と呼んできた。それを用いれば劇毒を解き、妖術を破り、外傷を治し、長生を求めることができると考えられてきた。上述のように、晋代にはすでに、月水を飲めば、交州「俚人」の毒矢の劇毒を解除することができると信じられていた[現在のベトナム、広西、広東あたりの民族を指しているのだろうと考えられている]。

 また晋人によると、扶南国の巫師は刀を恐れない奇術を有している。ただしこの奇術をもってしても、月水を恐れる。月水を塗った刀に斬られたら、巫師は死んでしまう[私(宮本)自身、青海省のチベット族のハワ(巫師)やインド・スピティ地方のブチェン(ラマ・マニパ)の刀を恐れぬパフォーマンスを見たことがある]。

 どこから霊感を得られるのかわからないが、古代の医術家は月水を用いて、馬に関する外傷などに特殊な治療を施していた。

 『医心方』巻十八に引く『葛氏方』に言う、人が馬に踏まれた傷、あるいは咬まれた傷は、「月経をその上に敷く(塗る)のが最良の処方である」。

また『医門方』の引用に言う、馬によってできた骨棘(こっきょく)は、「婦人の月経血を敷く(塗る)ことによって(さい)となる」。[とは病が癒えること]

 『千金方』巻二十五「蛇毒」に言う、馬血が誤ってかさぶたに入ってしまった場合、「婦人の月水を塗れば効果がある」。


 術士のなかには、経血、とくに少女の初潮の経血を合わせて作った長生不老の丹薬を喜んで用いる者がいる。月水を「紅鉛」とも呼ぶ由来はここにある。紅鉛術は完全に濊物駆邪の観念から出ているわけではないが、両者は一定の関係がある。古代の血液崇拝には、まったく異なる観念がある。つまり血液を神聖で宝とみなすか、けがれていて、邪悪なものとみなすか、極端に違うのである。大きく異なるが、同源で、本質は同じである。

紅鉛法術は神力を補充するという寓意であり、邪でもって邪を制すという意味がある。その生産は二つの観念の共同作用の結果である。


紅鉛を服用する習俗は明代がもっとも盛んだった。当時、一部の方士は皇帝に紅鉛を献上し、高位に就いた。方士は月水の中の血のかたまりをとくに重視した。彼らは「梅子(梅の実)」「紅梅」(紅色の花の咲いた梅の木)を収集し、保存する方法を参考にしていた。

 明人高濂(こうれん)の『遵生八箋』巻十七に詳しく書かれているが、しばしば結びを詩で終えている。汚濊の悪癖で飾るわけではない。紅鉛邪術が猛威を振るった時代、多くの有識者はすでに相当の非難を浴びせていた。陳良謨(ちんりょうぼ)は『見聞紀訓』のなかで実例を挙げて術士の荒唐無稽ぶりを暴露している。

 李時珍も指摘している。「今、方士の邪術がある。愚人を励ますようなものだが、童女の初潮の月経水を服食する。これを天紅鉛という。うまく名づけたものだ。いろいろと配合したものを『参同契』は金華と、『悟真篇』は首経と呼ぶ。愚人はこれを信じ、汚濊の滓を飲み込み、秘方とするが、しばしば丹疹が出て、おぞましいこと限りない。蕭了真の『金丹』の詩に言う、一流の通用口は淫靡で、強い陽は陰を採るもの。薬と称す天癸を口に入れたなら、取り返しがつかなくなる。ああ、愚人これを見て、ようやく悟ることになるのだろうか」。