第2章 18 埋石鎮宅と石人魔除け 

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 石が辟邪の霊物とみなされることから、鎮宅に巨石が用いられてきた。古い巨石崇拝とそれは関係がある。江蘇省の銅山丘湾の商代の遺跡や連雲港将軍崖古代遺跡に巨石崇拝の痕が見つかっている。丘湾遺跡の中心に四つの巨石がそびえたっていた。巨石の周囲には20の人骨、2つの人頭骨、犬の12匹の骨が埋められていた。これは巨石周辺で祭祀が行われていたことを示している。

 将軍崖遺跡の中心に三つの巨石が立っている。巨石周辺の平地の岩面上に人面、獣面、星辰などの岩画が描かれている。これらは祭祀と関係があると見られている。考古学者は『淮南子』「斉俗訓」の「殷人の礼、その社、石を用いる」という記述があることから、二つの遺跡は古代社祀遺跡と見られている。古代人は巨石の圧倒的に大きい姿におそれおののき、それが神の意思のあらわれとみた。すなわち巨石を土地神と考えたか、その他の神の霊的な化身とみなした。

 巨石崇拝の観念が発展するにしたがい、普通の石ころまで神秘的な意味が賦されるようになった。『淮南子』「覧冥訓」に「女媧、五色石を練って蒼天を補う」という神話がつづられている。そこから石が霊異なるものという観念が生まれている。特殊な石が霊異なるものとみなされるとき、人はそれによって邪悪なるものを制圧しようとする。


 『睡虎地秦簡』「日書・詰篇」によれば、居所の定まらない「遽鬼」はつねに外にいて、「召人出宮」(召還されて知府に入る)と聞くと遽鬼は邪魔をしようとした。白石を投擲するとこの鬼は二度とたたろうとはしなかった。鬼の白石撃退法は晋代まで道士が活用した。『抱朴子』「登渉」に言う。山中で官吏のような人に遭遇した。ずっと人の姓名を連呼している。その声が聞こえなくなると、姿形も見えなくなった。これは鬼魅の幻影である。「白石を投擲すると、すなわちやむ」という。白石は非常事態用のものではなかった。しかし随時鬼魅を遠ざけるために、この種の石を携帯しなければならなかった。白石撃退法を知っている人は保存する準備もまたよくできるのだった。