(3)かまど神
古代の巫医は黄土、とくに竈(かまど)の中の黄土、井戸の底の黄土、春牛の土が多くの疾病を治すことができると信じていた。この類の医術が灰土によって鬼を駆逐するといった伝統を継承してきた。それらは古代の竈井(かまどと井戸)崇拝や春牛崇拝と密接な関係があった。
竈神崇拝の起源は相当古い。春秋時代後期にはすでに流行していて、「与其媚于奥、寧媚于竈」(奥の偉い神のご機嫌をとるより、身近なかまどの神のご機嫌をとれ)ということわざが生まれたほどである。
戦国時代には、かまど神は「五祀」の一つに列せられていた。戦国時代以降、人格化が進み、炎帝だとか、黄帝だ、祝融だ、と言う人が現れた。
民間ではかまど神はたくさんの名前で呼ばれた。「髻」(もとどり)もその一つある。それは「赤い衣を着て、美女のごときさま」と言われた[かまどが、髻を持つ女神のように見えた]。
ある人は(かまど神の)「名は禅、字(あざな)は子郭、黄色い衣を着る」と表した。[禅は蝉(せみ)の通仮字。黄色いセミのように見えた。神を虫で表すのははばかられたのだろう]
また「姓は蘇、名は吉利」とも言われた」。[『史記』や『三国志』では宋無忌と呼ばれている。蘇吉利は『荊楚歳時記』中の名。女神ではなく、竈王、すなわちかまどの王]
唐代以前、かまどを祀る期日は固定されていなかった。『礼記』「月令」は毎年夏の四、五、六月にかまどを祭ると規定している。『荊楚歳時記』に言う、梁人は臘月八日を祀竈(かまどを祀る)日とすると。唐代以降は臘月二十三あるいは二十四日を祀竈節に固定した。
かまどの中に神霊が存在するとしても、かまどの中の土や関連した灰土が通常の土とは異なることになるのだろうか。古代の医家はかまどの中の土を「伏竜肝」とみなした。梁人陶弘景の解釈によれば、「この竈(かまど)の釜月(釜臍)の下の黄土が伏竜肝である[釜月、あるいは釜臍は、鍋底灰とも呼ばれる]。かまどに神があり、ゆえに伏竜肝と号す。その名を隠すためである」。
孫思邈(そんしばく)は言う、「鬼魘不語」(きえんふご)[夢中で叫ぶこと、金縛りに遭うことなどを鬼魘と呼ぶ。そのために話せなくなる]を治すために、伏竜肝を粉末にして、吹きかけて病人の鼻の中に入れる。
中邪[神がかりになったり、あらぬことを口走ったりする状態]や蠱毒を治すために「冷水といっしょに鶏卵の大きさの伏竜肝を服用し、かならず吐く。
狂癲謬乱(きょうてんびゅうらん)を治すために、毎日三度、「水といっしょに方寸匕(薬さじ)の伏竜肝を服用する」。たちまち治る。
その他の医書には「竈突(かまどの煙管)の弾丸のごとき煤を取り、水に溶いて飲む。三、四回服用する」ことで、猝死(突然死)を治す医方が述べられている。[突然死を治すというのは奇妙な言い方だが、脳卒中などで意識不明になった患者を治療するという意味だろう。実際私(訳者)はナシ族の村に滞在中、脳卒中で倒れた49歳の男性をトンバ(祭司)が儀礼によって治療するのを目撃したことがある]
夢魘(むえん)、瘋癲(ふうてん)、猝死(そつし)などの症状の多くが鬼魅に祟られた結果とみなされている。かまどの土を用いてこれらの疾病を治療するというのは、かまどの土で鬼怪を駆除するということである。
かまどの土灰は難産の治療にも用いられる。「竈屋(厨房のこと)の煤を取って一両(50グラム)ほど酒で煮る。その汁を服用する」。それによって逆子を治すことができるが、胎児は出てこない。「竈突(煙管)の煤を三つまみほど取り、水と若干の酒とともにこれを服用する」。腹中の子の死を治すことができるが、胞衣は出てこない。一部の医書が言うには、かまどの黄土を取り出し、産婦のへその中に押し当てると、胞衣が出てくるという。
かまどの黄土は虎や狼に咬まれた傷や子供の夜泣きを治すのに用いられるという。また男子の陰嚢が腫れたときに塗布して治療する。「かまどの黄土を酒に入れて混ぜ、(陰嚢に)塗れば効果あって治る」。
こういった奇怪な治療法は巫術とみなすことができる。一部の医書が言うように、「かまどの黄土を取り、にかわの汁と混ぜ、屋上に五日間置く。心を寄せる人の衣にこれを塗ると、相思相愛になる」。これも巫術的な性質を持っているのはあきらかである。