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 古代において、井戸は神聖さにおいてかまどに劣らない。「井社を跨がず」(井戸や祭祀をおこなう場所を跨いではいけない)は儒者によって訓として奉られた。民間には「千里不唾井」(千里離れていたとしても、唾を吐いてはいけない)ということわざもあった。井戸は聖地の侮辱を許さない。汚濁は許されない。井戸の底の泥土は自然と霊物となる。

 『淮南万畢術』に言う。「東に行く馬の馬蹄についた土は病人を回復させない」。注に言う。「東に行く白馬の馬蹄の土を取って、三家の井戸のなかの泥と土をこれと混ぜ、横になっている人のへそのうえに置く。すると起き上がることができない」。これはつまり、馬蹄についた土と井戸の底の土を混ぜ合わせると、他人をコントロールできるということである。

 医家によると、井戸の底の泥土の効用は、かまどの灰土と似たところがある。井戸底の泥土によって、突然死を「治す」ことができる。もしある人が眠ったまま醒めないときも、「火で照らしてはいけない。その踵(かかと)や足親指の爪を齧り、顔にたくさん唾(つば)をかける。井戸底の泥を目に塗る。人に頭を垂れたまま井戸に入って姓名を呼んでもらう。そうすればすぐに目覚める。

 また難産を治すことができる。井戸底の黄土を鶏卵の大きさほど取って、井華水と混ぜ、これを服用する。(胞衣は)すぐ出てくる。

 井戸の黄土を取り、梧桐(アオギリ)の種の大きさに丸め、呑むと、(胞衣は)すぐに出てくる。赤子が出てこない場合も「治す」ことができる。

 頭風熱痛、小児熱癤(せつ)、蜈蚣螫人なども治すことができる。[頭風熱痛は頭痛と高熱を伴うひどい風邪。小児熱癤は、せつ(ファランクル)と呼ばれる病気で、毛嚢(もうのう)の感染症。私(訳者)はこれをネパール・ヒマラヤ山中の村でよく見かけた。蜈蚣螫人はムカデに咬まれること]


 秦代から前漢時代にかけて、季冬の月(十二月)、「土牛を出して寒気を送る」習俗があった。後漢の時代、臘月の「土牛を立てて……大寒を送る」儀礼がおこなわれ、同時に、立春日に土牛と土人が塑(つく)られ、耕作を奨励する儀式が挙行された。

「立春の日、夜漏(ろう)の五刻、京師の百官はみな青衣を着た。郡、国、県、道の官下から斗食、令史まで、みな青い頭巾を被った。青幡を立て、門の外に土牛、耕人を置いた。兆民(天子の民)であることを示し、立夏に至った」

[立春と春節は同じではない。春節は旧暦の一月一日。立春は太陽暦の2月3日か4日]

 このあと春耕開始を象徴する立春牛儀式をおこなった。春牛と耕作は収穫祈願に欠かせないものであり、春牛の土は一種の縁起物となった。

 宋代、「立春の五日前、都では、大門の外の東に作った土牛、耕夫、犂を置いた」。立春の日の夜明け、役人がまず壇上で農神を祭った。各自が彩杖を持ち、春牛を三度打った。これは耕作の奨励を表した。役人が春牛を打ち終えるのを待っていた民衆は、押し寄せて、春牛の土を少しでも得ようと争奪戦になった。殴り合いが発生し、けが人が多数出るあるさまだった。当時の人は「牛肉(春牛土のこと)を得た者の家の蚕のできはよく、病気も癒えた」と認識していた。春牛の角についた土を戸の上に置くと、田(農作物)のできがよかったという。