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 剛卯の起源は探索すべき価値がある。実際、剛卯には鈐署(けんしょ)をすることができない。もともと印章とは別物である[鈐署とは公式文書や書画の捺印のこと]。

 最近の一部の学者は「漢代の剛卯は東周、西周、商の方柱形玉管が退化したもの。しかし商周の方柱形玉管は疑いなく良渚文化[長江下流の新石器時代文化。前35002200年頃]の琮形管[琮は古代の方柱形の玉器]が直接変化したものである」と認識している。

 もしこの説の通りなら剛卯の起源は歴史以前にさかのぼることができる。しかしまだ十分にこの説に確信を持つには至らない。材質や外形が同じでも用途や性質が同じかどうかはわからない。

このほか漢代の剛卯には重要な特質があった。それは二つのものが対を成していることである。この特質は深遠な宗教に根を張るものである。もし琮形管の大きさがばらばらなら、方柱管と剛卯の外形が似ていたとしても、それが剛卯の起源だと結論づけることはできない。


 現在の巫術資料を見ると、剛卯の直接的な起源は春秋時代に辟邪(魔除け)のために携えた(とうしゅ)という桃木の杖である。『韓詩外伝』巻十につぎのような記載がある。


 斉桓公が出遊すると、たまたまひとりの老人と出会った。ぼろぼろの服を着て、足を引きずって歩いていたが、桃木の杖をついていた。桓公はいぶかしく思いたずねた。

「(桃の杖の)名は何というのか。どの経典の何篇に書かれているのか。何を追い払うのか。何を避けるのか」。

老人は答える。「名は二桃と申します。桃は亡を意味します。そもそも日々桃杖を大事にすれば、何を憂えることがありましょうか」。桓公はことばを聞いて喜び、老人を車に乗せた。翌年正月、庶民はみな(桃の杖を)佩帯した。


 文中の「二桃」に注目したい。男子が佩帯するのが二つの桃殳なのである。これと漢代の対の制作物、つまり佩帯する対の剛厳卯と一致する。

 斉桓公の問いから察するに、桃殳は「追い払う」と「避ける」ために用いられる。これと漢代の剛卯の性質はまったくおなじである。桃杖や桃殳によって鬼魅を駆除するのは、古代より伝えられてきた巫術の手段である。象徴的な桃殳を佩帯するのは巫術のあらたな表現法といえるだろう。対になった桃殳の起源は、神荼・鬱塁の二兄弟が桃樹のもとで悪鬼を捉えたという神話である。一双桃殳(対になった桃殳)は、すなわち鬼神を取るのに用いられるのだ。