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 剛卯と少し似たもの(どちらも文字が彫られている)に、おなじ辟邪(魔除け)霊物で印章がある。辟邪用の印章には二種類ある。一つは実用的な官印で、もとは官吏の身分と朝廷の権威の目印だった。のちに巫師によって転用され、鬼神と妖人を厭勝するために用いられた。もう一つは神印とか法印と呼ばれるもので、巫師や道士が法術を実施するために特別に作ったものである。


 印章は、官印およびそれと関連した長官の権威を崇拝する人々の間で辟邪(魔除け)霊物となった。春秋後期以降、璽印の使用は頻繁になり、国家文書レベルになると、璽印が押されたもののみが有効とされるようになった。官吏の任命罷免は璽印の交付と接受に頼ることになる。「印把子(ハンコ)を掌握する」とは当家の主となって養う者となり、威厳を示すことを意味する。

 歴代の新王朝建立を試みた人たちはまず旧朝廷を攻めたあと、第一にやることは国に伝わる玉璽を奪うことだった。彼らはこれを得れば、未来の政権が「名正言順」(名分が正しければことばも理にかなっている)であると信じていた。

西楚覇王項羽が諸侯に封土を授けていた頃、(そのたびに印を授けることが)我慢できなくなり、印章を手にもってなでまわした。そのため印章の角が取れ、摩滅した。印章がひとたび用いられるようになると、それが自己の権力を生み出すことを彼は知った。

 各地に遊説に出るものの、うまくいかず、戻ってくる蘇秦[?-284BC]に対し家族は礼遇するのが常だったが、彼が六国相印を身につけて帰郷すると、いつも白眼視していた兄弟や妻、嫂(あによめ)までもが仰ぎ見ることさえできず、ひれ伏すしかなかった。

 漢代の朱買臣は一介の平民から会稽太守に登りつめた人物である。会稽郡の役所の昔からいる役人たちは、ボロボロの服を着た彼を見て、頭からばかにした。しかししばらくして彼が会稽太守章(印章)を懐に持っていることを知り、恐れ、色を失い、ひれ伏して叩頭した。

 皇帝の時代、璽印が入った貨幣の権威は大きかった。銭の影響力は大きく、「危険を安全に変えることができる。死亡を生存に変えることができる。富貴を卑賎に変えることができる。生を死に変えることができる」のである。その超自然的な力は、印章を用いることで、駆鬼辟邪をおこなった。これは璽印のフェティシズムが生み出した当然の帰結である。