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 邪祟の駆除のために作られた神印や法印は、あらゆる印章のなかでも巫術性が高いという面では際立っている。秦代以前にはすでに竜、風、兕(じ)などの図案が刻まれた肖形印と「宜官内財」「出入大吉」「利出入」などの字祥が刻まれた吉語印といった印章の大部分は護身符として使用された。それらは神印の先達であった。

 伝統的な吉語印の基礎の上に作られ、さらに威力を増したのが辟邪印章である。これは漢代の術士によって完成した。漢代の伝説には、印章を用いて法術を実施した神仙の故事がある。

 劉向は『列仙伝』の中で述べる。唐堯の時代の隠士方回は、夏朝初年、脅されて茅小屋に幽閉され、道術を教えるよう脅迫された。方回は策を講じて、うまく脱出し、家の門の上に「方回」の印章で蓋をした。その結果誰も茅小屋の中に入ることができなくなった。

 フィクションぽい方回の話は史実を反映している。すなわち漢代の巫師は印章を用いた法術をすでに実施していたのである。

 宋代に収蔵された大量の古い印章のなかにも、漢代の巫師の遺物があった。宋代の王俅『嘯堂集古霊』巻下には印章の「夏禹」という印文が載っている(画像参照)。

 元の吾丘衍『学古編』はこの印について、「漢代の巫(ふ)の厭水災法印である。世俗に伝わる渡水佩禹字法であり、この印章の漢篆(の印文)によってそれと知る」と鑑定している。この鑑定は信頼に足りるだろう。

 後漢時代は道教の形成期である。さまざまな要素を取り入れる道士が、民間の巫師が使用する印章の駆邪法を取り入れ、発展させた。これによって神印を作り、使用するのがしだいに道士の専売特許となっていった。

後漢から魏晋南北朝にかけて、道士がもっとも常用した神印は「黄神越章」だ。黄神は伝説中の鬼魅虎狼を駆除する大神。馬王堆帛書『五十二病方』には悪瘡(ひどいできもの)を治す呪文が記されている。


「浸〇浸〇虫、黄神在竈中、□□遠、黄神興」[〇は火ヘンに畜。「火畜」(二文字)で羊や馬を表す。□は欠落](家畜の虫よ、黄神はかまどの中にいる。□□を遠ざけよ。黄神よ、興これ)


 この呪文から前漢の時代に黄神崇拝が広く流行していたことがわかる。「黄神越章」の「越章」は黄神の名前だろう。

 197211月、考古学チームは陝西省戸県朱家堡漢墓から赤い呪文が入った陶罐を発見した。呪文の後半部はつぎのとおり。


「従今以長保孫子、寿如金石、終無凶。何以為信? 神葬厭填(鎮)、封黄神越章之印。如律令!」(これよりのち子孫代々途絶えませぬように。寿命は金石のごとく長く、凶事がありませぬように。神として葬り、邪を鎮める。黄神越章の印をここに封じる)


 これが発見される前に出土したのが前述の漢代の遺物である「黄神越章」である。全篇呪文で、自称「天帝使者」の巫師が後漢順帝二年(133年)八月六日(干支の甲戌、建除は除日)、死者曹伯魯の遺族のために、災いや凶事の除去を目的として書いた呪文である。呪文を分析すると、曹伯魯とその他親族数名は、疫病によって死亡したと思われる。「従今以長保孫子、寿如金石、終無凶」(これよりのち子孫代々途絶えませぬように。寿命は金石のごとく長く、凶事がありませぬように)という文は、曹氏の後代が二度と疫病に遭わないことを願って書かれたものである。

 最後に巫師は自問自答する。「このような願いの実現を保証するには、何を用いればいいだろうか。神葬厭鎮の法術を施すがいい。そのために黄神越章の印を用いよ」と。

 巫師から見ると、「封黄神越章之印」は邪祟を鎮圧し、災いや凶事を除去するには十分な方法である。この朱書陶罐は、死者を保護する鎮墓を目的とするものではない。その用途は、死者の邪気を鎮圧し、曹家の生者がふたたび死者の凶事の巻き添えになって、疫気に汚染されないことである。