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晋代に至ると黄神越章のパワーは道士によって誇張され、さらなる進歩はなくなってしまった。葛洪『抱朴子』「登渉」に言う。「古(いにしえ)の人が山林に入るとき、みな黄神越章を身につけた。その広さは四寸、文字は百二十。各百歩四方を泥で封じると、虎狼はその中に入ろうとはしない。道を進んでいるとき、新しい虎の脚迹を発見したなら、脚迹の向きに印を押していけば虎は去っていく。逆向きに押していけば、虎は戻ってくる。この印章を持っていれば、山林の道を行くときでも、虎狼を畏れることはない。虎狼を避けるだけでなく、もし山川社廟で血を食う悪神が福禍を為すなら、印章を使って泥で封じ、道路を切断し、力を発揮できないようにする」。
葛洪はまた実例を挙げる。呉国石頭城(南京)の中に深い池があり、池の中に大きなスッポンがいた。人はこの池をスッポン池と呼んだ。この大鼈が鬼魅に変化(へんげ)し、民衆に害を与えるようになった。多くの人がこれにより原因不明の病気を患うようになったのである。
道士戴昞(たいへい)はたまたまここを通りかかり、池の中に鬼を見つけると、池に泥を投げ入れ、数百の黄神越章の印で封じた。しばらくすると直径一丈[3.3m]の大スッポンが浮かび上がってきて、ピクリとも動かなかった。戴昞は大スッポンを殺し、それによってすべての患者を治した。これは印を紙に押す前の話で、泥の上に印を押して封じていたのである。竹簡の公文書を渡すとき、竹簡全体を縛るとき、縄は泥で湿らさねばばらなかった。そのさい湿った泥の上に印章を押し、印文を打ち込んだ。
葛洪が言う封泥とは、泥の塊に黄神越章の印を押すことだった。後代に至ると黄神越章の印は少なくなかった。近代の劉体智『善齋吉金録』「璽印録」には数枚の黄神越章印が収録されている。ただし韻文は簡略化している。それらは葛洪の百余字の銘の印章とは大いに異なるものだった。葛氏が紹介した黄神越章印は比較的特殊なものだったのである。
道士はつねに黄神越章を治病に用いた。北周甑鸞(そうらん)著『笑道論』は道教を風刺する書である。それの「戒木枯死」の一節に言う。道士は「黄神越章を作り、鬼を殺す朱章を作ることもできる。(法印は)人を殺すことも、炭を塗ることも(それによって虎狼を排除することも)できる」。
黄神越章はどうやって人を殺すというのだろうか。思うに、道士は法印を用いて病人を治すことができる。つまり病気を治さず死に至らしめることができる。甑鸞はそれを誇張して「人を殺す」と言っているのではなかろうか。
唐末五代の道士杜光庭編纂の『道教霊験記』に記す道士の法術の霊験の一つに「張譲、黄神印によって疾病から救われる霊験」がある。黄神越章印の効能を神奇なるものとして誇張して描いている。
張譲が患っているのは「素っ裸で馬に乗って走り回り、はばかることを知らない。水も火もものともせず、刃をも恐れない」精神病である。「道士袁帰真があらたに黄神越章印を作り、祭神儀式を終え、焚香儀式をおこない、胸や背中に印を押す。(張)譲は狂ったように走り回り、印を手に取って押す。すると意識を失って倒れ、そのまま眠る。(袁)帰真は印の効果を知ることとなった。また煉丹術によって線香を焚き、胸に印を押す。するとたちまち病は癒えた。そしてカササギのようなものが口から飛び出し、数丈先の地面に落ちた。衆人の前でそれは大コウモリとなった。譲はもとの状態に戻った。帰真はこの印章を持ち、病む者がいればこれで治し、おおいに霊験のあることを示した」。
この伝説で信じられるのは、印章でもって治病するところである。印章を作った後、祭儀を挙行する。治病のさいにはまず香を焚く。そして印章を使い、病人の胸や背中に印文を押す。病気が重いときはさらに一度、あるいは数度繰り返す。
黄神越章のほか、道士はさまざまな法印を使用していた。たとえば葛洪は「制百邪之章」「朱官印包元十二印」など、甑鸞は「殺鬼朱章」「太極章」などに言及している。
『道教霊験記』は「天蓬印」を用いて雨をもたらした事例を記している。唐僖宗広明年間の旱魃のとき、成都の人范希越は天蓬印を作り、池に印を投じた。すると短い時間にざっと暴雨が降り、「イナゴの類はみな溺れ死んだ」。
清の宋犖(そうらく)著『筠廊偶筆(いんろうぐうひつ)』もこの種の故事を記す。
康煕七年、京師正陽門の河を浚渫したとき、玉印が発見された。しかしその篆文を誰も読むことができなかった。礼部[行政機構]は広く意見を求めた。もとの印も公表した。数十日たっても誰も現れなかったが、少宰[官名]孫北海先生が家にいると、こういう声が聞こえた。
「これは元順帝の時代、雨乞いの儀式を行ったときに作った竜神印である。各門にこの印がある。雨が降ったあと、これらは(雨に流されないよう)土に埋められた」。
孫は印章の文字と詳しい注釈を付けた書を礼部に送った。なんと物知りであることかと讃嘆された。
元順帝は竜神印を用いて雨乞いをした、というのが道士の考えである。しかしそうでないなら、この神印が大雨を招いたあと、城門の下に埋められたということかもしれない。
黄神越章および各種法印の素材は棗(なつめ)の木か玉石である。『抱朴子』「登渉」に言う。「老君は神印によって百鬼および蛇、蝮、虎狼を除去」し、「棗心木を二寸四方に刻み、ふたたび拝んでこれを佩帯する。神効はなはだある」。
『印典』巻五に引用する「黄君、虎豹を制使する法」に言う。「道士、棗心から四寸四方の印章を作る。ここで言う法印は、用途と大きさから、葛洪が述べる黄神越章とほぼ同じであることがわかる。つまり黄神越章印である。棗木から印章を作るのは、それが堅固で耐性があるからだ。
宋代の編纂『睽車志』は言う。「鬼は白玉を畏れるので、白玉印をつけるのがよい。雄の精嚢を盛んにする」。徐津市から見ると、辟邪(魔除け)霊物である玉石は、棗木印と比べてもさらなる威力を持っているようだ。