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後世の道教経典は、明鏡の巫術の効能や使用法について詳しく述べている。太上老君に仮託した経典『老君明照法叙事』が言うには、明鏡を使用することで「分身によって姿を増やし、一を万とし、六軍を作ることができる。千億里の外で呼吸をして、雲に乗り、水を履き、好きに出入りすることができる。天神地祇、邪鬼老魅、隠蔽の類、みな見ることができる」と。なかんずく、一枚の鏡で神を見ることができるが、人が長く生きられるようになるわけではない。日月鏡によって寿命を延ばすことはできるが、分身の飛行術を修めることはできない。
「分身散形(分身は本体がいくつにも分かれること。散形は尸解、すなわち一度死んだあと蘇ること)、坐在立亡(坐在は跪き、臀部をかかとで支える座り方。立亡は立ったまま遷化すること。坐脱立亡と同じ意味なら、坐在は跪いたまま遷化する意味になる)、上昇黄庭(道教の瞑想法存思における呼吸法を指す。黄庭は五臓のうちの脾臓)、長生不死、役使百霊、入水入火、入金入石、入木入土。注意を払って飛行し、我は四規の道を用いる」。
四規鏡を使用し、鏡の面を人から一尺五離し、地面から三尺離さなければならない。修行者は四面鏡の中から神仙を見るが、これは同一ではない。
東規には小耳の高い顔の、全身に黒毛の生えたふたりの仙人が見える。西規には西王母が見える。南規には一身十一頭の中和無極元君が見える。北規には一身十三頭の天皇君が見える。
太上老君は三十種の神仙の形象で描かれる。諸神として平穏を保ち、鎮定するのである。これらは一切驚くことも恐れることもないと強調する。
道教経典は二種類の直接的な明鏡駆邪秘術を紹介している。
一つは、治病のために大山に入る際に使用する秘術である。まず鏡を門の上に掛ける。門の下に井華水(夜明けに最初に井戸で汲んだ水)を置き、刀あるいは剣を横にして盆の上に置く。刃を外側に向けるので、どんな鬼魅であろうと、門から入ろうとすると、「水を過ぎると即死する。血は水中に流れる」ということになる。この方法はきわめて有効で、秘術を俗人に教えてはいけない。
もう一つは、百邪を辟邪する刀兵(武器)を用いる法術である。直径三寸の鏡を準備する。また「円天府」と書かれた符を鏡の背面に貼る。この鏡を懐に押し込む。甲丙などの陽日には懐の左に、乙丁などの陰日に懐の右に押し込む。ここに入ってきた人々は「みなこれを畏れた」という。この法も同様に秘しておくことが要求される。
四規の威力はきわめて大きいので、それの秘訣を伝授するにおいて、道士はしばしば相手に誓いをたてさせる。つまり誠心誠意、法にのっとり、外部にもらすようなことはしないと。明鏡の使用には禁忌が多い。葬送や分娩の家には入らない、ニンニクのような辛みのある野菜は食べない、婦人やなまぐさいものには近づかない、明鏡の前では目を閉じてうつらうつらしない、などがそうだ。
道士の間では特殊な「摩照の法」が流伝されてきた。すなわち薬物を鏡面に塗って「日月のように明るく」したのである。なかには唾沫を鏡にこすりつける方法があった。つばを噴きかける古い噀唾(そんだ)術にも言及しているが、これは明鏡に神力を注いでいるということである。
仏教が民衆への影響力を拡大していくとき、しばしば道教の明鏡照妖術を借用した。『摩訶止観』は天台宗の祖隋僧智顗(ちぎ)が口述した仏書である。この書のなかで言う、「隠士頭陀多蓄の方鏡は座の後ろに掛けてあった。媚(魅)は鏡の中の色像を変えることができず、鏡を見てこれを認識したので、自ら派遣した」。これは道士の見方と一致する。
紀昀『閲微草堂筆記』巻十三にも、僧が小鏡を用いて狐精を照らす故事が載っている。これから見るに、明鏡照妖術は古代の仏道両家に通じる方法であったようだ。